小説 川崎サイト

 

古典の復興


 一つか二つ昔のものは慣れ親しんだものなので、分かりやすい。それらはほぼ熟知した世界で、よく知っているということだけでも安心感がある。そして今のものは連続性はあるものの、何か少し違う。違ってあたりまえで、これはいい感じでの違い方の方が多いが、逆に進みすぎていると、何故か落ち着かない。
 新しい時代、新しいものを取り扱うのは颯爽としており時代の先端を走ることになるのだが、何故か落ち着かない。
 この落ち着きとは何だろう。まだ新しすぎて落ち着かないためだろう。しっかりと着地していない。足場がまだ緩い。根ざしていない。などが原因かもしれない。だから、ただの慣れの問題なのだが、古いものに触れたとき、ほっとするのは慣れたもののため、馴染みのあるため。
 そう考えると何も問題はないのだが、昔のものはその時点で終わっている。果てがある。その延長、その発展型で、新しいものと切り替わっているのだから、不便なわけではない。逆に便利すぎる。
 逆に、もう昔のものには戻れないこともある。今の時代では使い物にならず、それこそ時代遅れ。ただのゴミ程度の値打ちしかない。売れるゴミならいいが、お金を出さないと持って行ってくれないようなゴミもある。
 しかし、実用性はあり、まだ使える程度の昔のものは結構落ち着く。既に落ち着いたあとのためだろう。その時代でずっと落ち着いている。そしてそれに触れたとき、その時代に戻される。あれから何年経ったのだろうかと。
 十年一昔が短くなったが、その頃に戻っても、今と大して違わなかったりすることも多い。むしろ十年前まではもっと伸びやかでいいものが多い場合もある。
 しかし、これも戻りすぎると、実用性の射程外から外れるのか、そこで果てている。
 だから今もまだ使えるような古いもの。これがいいのではないかと三田村は考えた。
 それは新しいものを追っているとき、もうそれほどいいものがなさそうで、どうやらこのあたりで行き止まりになりそうだと感じたとき。それなら先を見ないで、過去を見てはどうかと。
 三田村は過去の遺産から、いいものを釣り上げているのだが、これは秘密にしている。これは種明かしになるためだ。それと、この方式は既に知られていて、新味がない。
 しかし、過去を振り返った場合、個人差が結構ある。捉え方、感じ方が違う。そして何に意味を見出すのかは個人の問題。感性の問題というより、必要性の問題かもしれない。欲しかったものが過去にあったが必要ないので素通りしたとか。
 しかし十年前ならついこの間。ほとんど今と変わらないので、もう少し遡ることになるが、中途半端に古いと、中途半端に新しい。
 だから、うんと縄文時代まで戻った方がいいのだが、これは生きていない。体験していない世界なので、フィクションと変わらない。
 それでまだ覚えている個人的な昔のことを思い出すようにしている。
 それで一寸したヒントを掴んだ。大まかに言えば、今よりもアナログ性が高いということだろうか。おそらく落ち着きを感じるのは、このアナログ的なもののせいかもしれない。
 アナログ性の復活。これが結論であったとしても、それは秘しておいた方がいい。それと分からないように。
 それと人為的手間暇。いずれもそれらが早くなり、快適になったのだが、達成感が違う。
 三田村は物や事柄に触れるたびに、昔はそれらをどうやってさばいていたのだろうかと考えるようにしている。
 ある日、今風な八百屋で買い物をしたのだが、バーコードがない。レジはある。店員は品物を見ただけでさっと打ち込む。下敷きになっているものはそっと上のものどけて覗く。商品には値段が書かれていないが、売り場には書かれている。
 これがバーコードよりも早い。目がバーコードなのだ。しかも隙間から覗いているだけの小さなものも見逃さない。個数も瞬時に分かる。
 これは電卓時代だ。そういえば昔の八百屋の親父はソロバンを持っていたことを思い出した。
 そして、それを見た戻り道。ソロバンという文字が目に入った。借り手が長い間いないテナントに、珠算塾が入っていたのだ。
 三田村が思っている以上に、少し昔のやり方は復活しているのだろうか。
 デジタルの行き着くところはアナログで、アナログの行き着くところはデジタル。というようなことをデジタル時代になる初期、デジタル時計とアナログ時計の違いで、誰かが語っていたことがある。それを思い出した。
 それを語っていた人は、もう昔の人だ。だからその説も昔の説。
 手間暇かかることを敢えてする。しかし、結果的にはそちらの方が早かったりするし、それをやっているときは保証された安全な時を過ごすことになる。
 三田村の発想はどんどん伸びるのだが、それが自然に発生したもので、無理に捻り出したアイデアではないことを願った。なぜなら発見しただけで終わるので。
 
   了
 
 


2019年4月6日

小説 川崎サイト