小説 川崎サイト

 

花の精


 広田は自転車で近所をうろつくのを趣味としていたが、春も進み、暑くなってきたので日陰を選ぶようになる。冬とは別だ。
 日中、既に夏。冬まではもう陽の当たる通りは避けることになる。そのため広田は冬の道と夏の道を作っている。今日はその切り替え時期。夏至はもう少し先だが、夕方も遅くなり、冬場に比べ明らかに長い。まだこんなに明るいのかと思う。
 道沿いの草花、これは玄関先などの鉢植えが多いのだが、春の草花が咲き誇っている。冬場に比べ、町が明るいのは、そのためかもしれない。照明にはならないが、通りに色が付く。種類も多く、それを見ているだけでも飽きない。
「そうか飽きないか」
 と、何処からか声がする。
「こんなことで満足していていいのか」
 誰だろうと思いながら周囲を見渡すが、誰もいない。しかし花が一つ動いた。キク科の花だろう。その中の一輪が揺れている。
 花の精にしては声が濁っており爺臭い。それは広田の思い込みで、花の精なら小さな女の子のイメージがある。実際には爺かもしれない。花咲爺さんも年寄りだ。
「やるべきことが他にあるじゃろう。花など見ておる場合か」
 声の方角も、どうやらその花から来ているようだ。 広田はその花を引き抜こうとしたが、茎がなかなか切れないので、捻って引っ張った。これを自転車の上からやっていたのだが、どう見ても花泥棒。それに気付いた広田はさっと発進し、立ち去った。幸い誰も見ていない。
「い、痛いじゃないか」
 片手に持った一輪の花。まだ動いている。
 気味が悪いので、広田はタバコを捨てるように、すっと力を抜いて花を離した。投げ捨てたのではなく、落とした感じ。
「こらっ、生け花にするため、抜いたのじゃないのか」
 少し進むと、もう声は聞こえなくなった。足も羽根もないのだから、何ともならないのだろう。
 広田は花の精に悪いことをしたと思ったが、可愛くない爺に説教されたのがかんに障ったのだろう。
 それから数日して、またあの花の精がいた場所を通った。抜いた場所には変化はなく、その先に捨てたのだが、その地面を見ると、アスファルトの上にぺしゃんこになった花びらが残っている。押し花だ。
 この押し花、長く残っていたが、梅雨頃には消えていた。流れたのか、剥がれたのかは分からない。
 
   了


2019年4月25日

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