小説 川崎サイト

 

木阿弥の再起


 元の木阿弥。スタートラインに戻されることだが、本当は戻されたくはないはず。しかし、敢えて元の木阿弥へ戻ることもある。自分で戻るわけなので、自主的。そのまま進むこともできたし、少し引けばいいだけなのだが、ストーンと最初の頃に戻る。
 まだ木阿弥と呼ばれていた頃の名前に戻る。出世魚のように名が変わっていったのだろう。だから木阿弥は初期値。
 しかし、元に戻ったわけではない。戻るまでの期間があり、色々なことを経験しているはず。だから元の木阿弥とは少し違う。これは認識が変わっているはず。振り出しに戻されたので、直ぐさままた取り戻すために進む、というのもあるが、人には学習能力がある。犬や猫にもあるので、威張れるようなものではなく、むしろ学習能力があるのに、それを使わないで、無視して突っ走る愚を犯す。犬猫よりも劣ったりする。
 さて、その木阿弥、戻されたのだが、戻ってきたと解釈した。一寸した言い方の違いだが、綺麗さっぱり捨て去り、戻った。
 そしてある境地を得た。木阿弥時代は欲に目が眩んでいた。これは悪いことではない。その欲につられて突っ走った。そしていいところまで行ったのだが、それほど運は続かず、滑り落ちた。
 ずり落ちるとき、少し頑張れば何とかなった。まだ落ちたわけではない。落ちつつあるとき、落ちかける寸前。ずるずるっとなったとき。ここでしがみつけば何とかなった。しかし、敢えてそれをしなかった。落ちてもいいかと思ったのだろう。
 それで踏ん張ることなく、ずり落ち、滑り落ちた。
 あと一歩で欲が果たせる寸前。しかし、その欲を果たせたとしても、決していいものではないことが何となく分かりかけていたのだろう。結構苦しいもの。それでしがみついていた手を離す気になったのかどうかは分からないが、抵抗した形跡はなく、そのまま落ちていった。
 そして元の木阿弥となったのだが、以前の木阿弥とは違っていた。
 何かを悟ったわけではなく、虚しさを感じたようだ。世の虚しさか、自身の虚しさか、目的に対しての虚しさなの分からない。これは本人が語っていることなので、本心は分からない。
 木阿弥は一瞬だけいいときがあった。登り切れると分かった寸前。あと一歩で欲が果たせるときだ。このときが絶頂期だった。
 しかし、上り詰めたのではない。だから、欲はまだ果たしていないのに、ずり落ちた。
 元の木阿弥に戻った木阿弥は以前より巧妙になった。賢くなったのだ。しかし悟ったわけではない。
 まだ、欲を果たしていないので、別の方法を考えているようだ。
 
   了


2019年4月26日

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