小説 川崎サイト

 

お好み


 今日の好みと昨日の好みが違う。日々お好み焼きのようなものなので、それは大して重要な好みの問題ではないのかもしれない。
 十年前と今の好みは違う。これは分かるような気がするが、一日にしか立っていないのに、好みが変わるというのは、少し妙だ。センスのセンサーが狂ったのかもしれない。
 そうなると明日の好みも変わるかもしれない。そしてさらに次の日は、その前の好みにまた戻っていたりする。
 好みのタイプ。そのタイプは大きく分けて二つある。一方と片方という風に。その二つはおそらく対照的なのだろう。強い目とか弱い目とか、甘い目とか辛い目とか。当然その中間もあるし、二つではないかもしれないが。
 また、好き好んで、というのもある。これはわざわざそういうものを選んでということだが、これはやはり好きなためだろう。しかし、あまり選んではいけない好みかもしれない。それを敢えて選ぶ。
 この敢えて選んだものほどコロコロ変わりやすい。なぜなら敢えてという意図が強いため。好みも変わるが、これは感じないと駄目。しかし意図は頭の中だけで決められる。
 だから意図して決めたものは感性的なところを通っていないかもしれない。
 暗い目のしっとりとしたものが好きだと思っていても、明るくカラッとしたものを見ると、やはりこちらの方が元気でいいと感じたりする。そしてまたそれに飽きて、しっくりとしたものに戻ったりするが、いずれも通過しているだけで、ぐるぐる回っているようなものだろう。
 簡単なものが好ましいと思っていても、あまり簡単すぎると退屈してしまい、難しいものへ向かったりする。そして当然また簡単なものに戻る。
 人はどのタイプにも本来なれるのだろう。だが、慣れたものを続けているうちに、それこそ本当に慣れ親しみ、それが本来のものだと思ってしまう。どのタイプや好みが良い悪いかではなく、どちらもいいのだろう。またどちらも悪かったりする。
 極端に走る方が分かりやすいのだが、その中間もある。実際にはこの中間にいるわけだが、どちらかに傾いている。そこを行きつ戻りつしながら、その振り幅を維持したまま進んでいくのだろう。
 好みから外れたものも、何処かでまた復活する。久しぶりだと新鮮なため。
 感性は感じなので、感じることなので、これは具体的。そしていきなり来たりする。ここは独立した世界かもしれない。ただ一瞬で、その感じは過ぎ去ることもある。
 今までいい感じとして感じていたものが感じられなくなることがあるのは、もう驚きがなくなるためだろう。
 感動というのがある。これはかなり激しい感じだ。心が動くのだろう。普通の感じ方ではない。
 感動ばかりしていると、もう感動したくなくなったりしそうだ。
 好みも変われば、感動することも変わっていくのだろうが、結構単純な反応だけの話かもしれない。
 
   了


2019年4月28日

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