小説 川崎サイト

 

毒将


 弘田天善という名の知れた武将がいるが、隠居している。その息子があとを継ぐことなく、与えられた一ヶ村で一族郎党と静かに暮らしていた。食べることに不自由しないし、仕事もない。だから、武家だが大庄屋のようなもの。農園主に近い。
 この国は天善が作ったようなもの。まだ小さな勢力だった頃から活躍し、近隣を切り取り、数万石を領する大名となっている。
 天善はこのとき、何かを悟り、身を引いた。懸命だ。
 天善は戦奉行のようなもので、戦いのときの司令長官。この国の武力を掌握していた。それで主家が大名になったとき、さっと引いたのは、敵よりも仲間内から恐れられていたためだろう。事が成った後、今度一番危険なのは天善なのだ。
 それは周辺を切り取るときの手腕を見れば分かる。かなりエゲツナイ策略を用い、しかもその用兵は巧みで、つまり権謀術数に長けた武将なのだ。これでは主家など簡単に乗っ取られてしまうだろう。だから、その前にさっと身を引いた。
 ところが数年後、隣国が攻めてきた。大国が背後にあり、容易な相手ではない。
「戻ってこいと」
「はい」
「それはならんだろ」
「大殿様も亡くなられ、若殿様が困っておられます」
 天善は先代に仕えていた。その先代が天善を恐れた。天善もそれを感じていたので、身を引いたのだ。その遺言があるはずだが、若殿はそれを無視して天善を呼び戻した。
 敵国にやられるより前に天善にやられてしまうだろう。しかも軍を任せるのだから、これは猫に魚の番をさすようなもの。しかし、天善はそんな不届き者ではない。本人は律儀なつもりだが、知恵がありすぎた。
 この知恵は特殊なもので、習い覚えたものではない。人の動き、兵の動きが分かるのだ。
 それに対して打つ手が厳しくエゲツナイ。ほとんどが罠を仕掛けてのだまし討ち。
 天善が抱える郎党は数十人。これは特殊機関のようなもので、敵を知るための情報機関のようなもの。
「私はもうただの百姓親父、それに隠居の身。お仕えできるだけの力はございません」
「ではどうじゃ。今度の戦で、ここからも兵を出す義務があるじゃろ」
「あ、はい」
「足軽を出してくれ、それならいいだろう」
「その程度なら」
「ただし、その足軽、天善殿が引き連れて欲しい」
「また、持って回った言い方ですなあ」
「若殿がどんなことがあってお連れするようにとの厳命、私どもの立場もどうかお考えの上……」
 誘いに来た武者は、天善が現役時代の部下でもある。しかも一番懐いていた部下。若殿も困った奴を使いに寄越したものだと苦笑いした。もしかして、若殿は名君かもしれない。だが、名君なら毒蛇を城に招かないだろう。
 城入りした天善は早速主だった武将を集めた。いずれも昔の部下達だ。先代の殿様よりも天善に懐き、誰が殿様なのかが分からないほどになっていたのだから、これはやはり危険な存在だろう。
 天然は敵の様子だけではなく、敵部隊の武将達の名前まで調べ、その性格まで知ろうとした。
 戦いは簡単に終わった。
 天善の策が次々に当たり、敵は混乱し、戦意を失い、遁走した。天善は追わなかった。背後にいる大国が出てくるのを当然警戒してのこと。
「役目も終えましたので、また百姓に戻ります」
 若殿はもう一ヶ村、天善に与えると言ったが、敵の領地を取ったわけではないので、それは受けられないといい、辞退した。
「このまま、以前のように我が家の重臣として残ってもらうわけにはいかぬか」
「それができぬのは若殿が一番よくご存じのはず。大殿から言われているのではありませんか」
「ああ、聞いたが」
「私は猛毒を持っております。それをお察し下され」
「また呼べば来てくれるか」
「はい、喜んで」
 
   了


2019年4月29日

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