小説 川崎サイト

 

鉄火巻きライブ


 前日、久しぶりに出掛けたので、今日は何もしないでゆっくり過ごそうと牧田は思った。思ったことは実現する。何もしないで過ごすという思いなので、簡単だ。何かを得ようとかの話ではない。何もしないでいる、これは思わなくても、牧田の日常では普通のこと。
 しかし、今日は大いばりで、何もしないで過ごせる。決して何もしていないわけではないが、大した用事はないということ。休みの日と変わらない。しかも同じようなことを毎日繰り返しているだけ。
 その毎日も、一日出掛けると、これを入れることで、違ってくる。いつもの日々の続きなのだが、過ごし方が違う。疲れたので、今日は休むという大義名分が立つ。それを立てなくても、普通に休んでいるだろうが。その休み方が、いつもの休みではない。本当の休みのためだ。
 休まないといけない休みなのだ。普段は休まなくてもいいのに休んでいる。ここが違う。
 普段とは違うことをする。これは違うことをしたいためもあるが、そうではなく、普段のために異物を入れることで、いつものことが引き立つ。そんな理屈があるのかどうかは分からないが、牧田には当てはまる。たまに出掛けることで、普段が活きるのだ。
 同じような繰り返しの日々。それがそうではないことが入ることで、同じ日々ではなくなる。同じではない日々が始まることもあるが、牧田が始めたことではなく、そうなってしまう用事が外から入ってきたとか、同じように過ごせないことになったとかが入る可能性もあるが。
 しかし平々凡々で、そういう外からの変化も穏やかなとき、自発的に変化を生み出すのだろう。だから昨日は積極的に外に出た。
 街中に出て行ったり、見知らぬ人々がいる場所を通り抜けたり、また今まで下りたことのない駅周辺をウロウロしたりと、単に街散歩をしただけなのだが、これだけでも久しぶりだと見るべきものが多く新鮮。
 しかし、そういう外出そのものも、いつの間にかいつもの外出になる。似たようなことをしているのだ。外出方法が同じ。行く町は場所が変わるだけ。それでもそこにはドラマがある。
 持ち帰り寿司パックをレジの前で落として、切った状態の鉄火巻きが床に転がり、座り込んで泣き出す子供。きつく叱る親。子供は立ち直れない。そこで店員が出てきて、新しいのを子供に渡す。店員はそんなにきつく叱らないでやって下さいと親に言う。こういうドラマを牧田はたまに見る。その筋書き、出し物は毎回違う。当然ジャンルも。
 牧田の動きとは別に、世の中では色々なことが起こっているが、もの凄いことならニュースになるが、子供が鉄火巻きのパックを落としたなどはニュースにはならない。
 親は親で巻き寿司や握りのパックを手にしていた。レジ籠はあるが、使っていない。子供は自分が食べる鉄火巻きを選び、それを掴んで喜んでいたのだろう。しかし、鉄火巻きの好きな子供が世の中にいる。何度か食べたのだろう。それで、自分で持ち、レジへ行ったのだが、かなり燥いでいた。
 牧田はそんなことを思い出しながら、今日はいつもの日常を送っている。
 後で思い出すと、父親もいたが、同じものを取りに行ったようだ。落としたのなら、仕方がないと。しかし、店員は落とした鉄火巻きはなかったことにした。最初から存在しなかったように。だから親は鉄火巻きを一つだけ買ったことになる。
 持ち帰り寿司。パックに入っており、パチンとかみ合わせで留まっており、さらにテープも貼られている。これはなかなか開かないのだが、こういうときに限って簡単に開いてしまい、バラバラの鉄火巻きが赤い目玉を見せて飛び出した。
 このライブを見た後、牧田は色々な状況や人と人との絡み、感情。などに注目した。
 しかし、今は久しぶりに鉄火巻きが食べたくなった程度で、収まっている。
 今度はレジ前で、牧田が落とす番になるかもしれない。そんな役はしたくないので、レジ籠を使うことを忘れないようにした。
 
   了


2019年5月8日

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