小説 川崎サイト

 

苦行の連休


 連休最後の日は雨だった。下田は都合十日休んだことになる。仕事から離れ、仕事関係の人達とも離れ、ほっとしていた。このほっとは下田の厭世観から来ている。要するに世の中嫌だ嫌だということ。世の中それであたりまえなのだが、たまには楽しんでいる。そのために娯楽がある。仕事でも人間関係でも嫌なことばかりではないだろう。楽しいこともあるはず。だが、下田には楽しむような余裕はない。これ以上嫌にならないよう上手く身をかわすことで一杯一杯。そのおかげで身ごなしが上手くなった。できるだけ悪い状態に陥り、さらに嫌なことが起こらないように。
 世の中は楽しむものではなく苦しむもの。まあ、無理に苦しむことはないが、下田は楽しもうとしないだけ。楽しいことが何故か虚しく感じるためだろう。
 連休最後の日は雨。方々出歩いたので、疲れているのか、その日は本当に休みの日とした。
 十日間休めるので、休んだのは最後の日だけ。では残り九日間、何をしていたのか。仕事ではないことだけは確かだが、楽しいことをしていたとは思えない。楽しまない人なので、それはしないはず。
 実はその間、苦行をしていた。これは行だ。修行のようなもの。山野を歩き回ったりの肉体的苦痛ではなく、精神的苦痛に走った。
 まずは一番苦手な同僚や先輩と会った。話したくもないような連中だ。またその他の嫌な友人達とも会った。面白くも何ともない。苦しいだけ。しんどいだけ。だが、それが行なのだ。
 この苦行で連休を過ごしたので、流石に疲れた。それに雨も降っているので、この日は苦行疲れを癒やす日とした。ただ、ぼんやりと一日過ごすだけ。精神的な苦痛は肉体にも現れる。だからあまり苦痛を受けすぎると身体を壊す。だからこの苦行もこれ以上続けると、危険なので、静かに過ごすことになる。
 連休明けからの苦痛分を、一機に先にやってしまった感じで、後が楽になる。この楽は決して快適なものではなく、嫌なことが少し減るので連休中に体験した苦痛から比べれば、大したことはないはず。
 下田から見れば、そんな感じだが、世間では下田ほど良い人はいない。誰に対しても分け隔てなく接し、文句一つ言わないし、愚痴もこぼさない。後輩や同僚、先輩からの受けもいい。当然普段から付き合っている友人知人、行きつけの店の人達からも歓迎される。非常に人当たりがよく、嫌な頼みでも聞いてくれる人。頼りがいのある人。
 人というのは分からない。
 
   了
 


2019年5月9日

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