小説 川崎サイト

 

透視術


 村に伝わる秘仏。誰も見た者がいないとされているが、隠し仏として長く村にある。これは村人も拝めない地蔵さんらしい。しかし、観音か地蔵かをどうして知ったのだろう。やはり見ているのだ。
 場所も秘されているが、これは秘した人がいるし、その管理のようなものもしている。実際には庄屋の庭の奥にある倉にある。
 ところが二つもあることが分かった。どちらかが偽物なのだ。伝わっているのは一体。
 庄屋は村の長老でもある。これを隠し続けることも仕事。村人のほとんどはそんな秘仏の存在は知らない。上手く隠しているためだ。
 しかし、このままでは違う地蔵まで秘仏扱いにすることになり、これは効能が薄れると考えた。今まで、ずっとその状態で、倉で眠っていたのだから、それでもかまわないのだが。
 この庄屋の前の当主は、一度もそれを見ていない。あまり興味がなかったのだろう。
 この秘仏があるから、村は守られていると信じられているのだが、二つではなく、一つ。
 庄屋は同じ顔立ちで、ほぼ同じ大きさの二仏を観察しても、どちらが本物か分からない。どちらかが身代わりだろうか。見せていいのはレプリカの方。
 そのあたりを是非とも知りたいと思い、村にいる世間のことに詳しい男と相談した。寺や神社ではなく、流れ者のような村人だ。すっかり定着し、普通の村人として暮らしてたが、この男が結構世間のことを知っているので、村人はよく相談に行く。
 それによると、昔の仲間で、そういうのを見通せる人がいるらしい。その男なら中のものが分かるとか。
 当然庄屋は秘仏のことは口にしていない。
 庄屋はその男がいるという国へいく。これはお隣の国だが、天領。
 その男、与作という博打打ち。
 庄屋はそれだけで、何となく察しが付いた。
 与作は賽の目が読めるらしい。それならぼろ儲けではないか。しかし、それをすると賭場には行けなくなるので、目だたないように、たまにその透視術を使うとか。これは花札でもいける。
 ただ、サイコロの目。一とか六とかの形が見えるわけではなさそうで、花札も絵柄が見えるわけではない。だから透視術とは少し違う。
 庄屋は与助に二つの地蔵のうち、どちらが本物で、どちらが身代わりかを調べてもらった。
 どちらの地蔵も古そうに見える。
「分かりますかな」
「こっちでしょう」
 与作は指で示した。即答だ。
 庄屋はすぐにそれを風呂敷で包んだ。目印だ。
「中が分かるのですかな」
「いや、いる側と、いない側」
「え」
「中に何かいます」
「あ、そう」
「こっちはいて、こっちは何もない」
「それが見えるのでございますな」
「見えない」
「あああ、見えないのにどうして」
「何となくこっちだと」
「ななな何となく」
「そうです」
「大丈夫でございますか」
「百発百中ですよ。今まで賽を外したことはない」
「あ、さいで」
 それで、無事本物の方が分かったので、身代わりの方を屋敷の庭に祠を建て、その中で祭り、年に一度開帳することにした。
 本来セットもので、そういう風に使うものだが、これを譲り受けた先代が、本物とコピーをごっちゃにしたようで、どちらがどちらかが分からなくなったので、そのまま二体とも秘仏として放置していたようだ。
「じゃ、私はこれで」
「有り難うございました」
 礼を受け取り、与作は昔の仲間が村人として暮らしている百姓家へ寄った。
「久しぶりだな与助。庄屋の頼みは上手くいったかい」
「ああ、わけないこと」
「そんな凄い力、小博打だけで使うのは、もったいないよ」
「これは隠し球でね。一生一度の大勝負のときにしか使わない」
「もったいないねえ」
 しかし、与助の生涯で、いざというときは一度も来なかったようだ。
 
   了

 


2019年5月14日

小説 川崎サイト