小説 川崎サイト

 

自分主義


 本来の自分らしいものに対しては意外と避けて通ることがある。自分らしさ、自分探し、自分らしいものを探すのが本来なのだが、それをしないで寄り道することがある。これは故郷はあるが、敢えて故郷へ足を向ける気にならないところもあるため。
 なぜなら分かりきったものしかそこにはなかったりする。そしてよく知っていることに関しては、それほど興味を抱かなかったりする。
 たとえば大勢の人が行き交う雑踏の中で、肉親を見付けたときの。何とも言えない気持ち。
 武田はそれで自分らしくないことばかりをしていた。しかし自分らしいことも実際にはしている。これは意識しなくてもやっていることだ。あたりまえすぎて面白味はないが。
 自分らしくないものを探す。これはいくら探しても見付からないだろうが、では自分らしいものの探求はどうだろう。これも実際には辿り着かないのではないか。すると、同じこと。
 逆に寄り道したり、余所見したりする方が、得るべきものも多くなる。自分らしいことばかりでは寄ることはないし、見向きもしないだろう。
 自分らしさとは自分が自己判断をすることが多いし、ほとんどがそれだろうが、人から言われる方が説得力がある。君らしさ、あなたらしいですね。などと言われることで「らしさ」が固まってくる。他人の評価も大事だ。しかし、他人はよくそれだけ勘違いをしてくれるなと思うほど当てにならなかったりする。するとやはり自分のことは自分が一番よく知っていることになるのだが、それは当然だろう。他人の方がよく知っている自分などは頼りない限りだ。
 その他人が責任を取ってくれるわけではないのだから。
 ただ、そういった自分という詳細ではなく、一見してすぐにその人らしさが分かることがある。むしろ詳細を知っていると、その人らしさを隠してしまう。
 さて武田だが、自分らしいことというのは何となく分かっている。しかしこれは好みや気分がセンサーになっていることが多く、深い思慮の結果ではない。かなり単純なことの積み重ねや選択なのだ。そのうち、それがパターン化し、オート化する。それだけのことだと思っている。
 だからオート化にならないようにたまに自動操縦から外れて、マニュアル操作に切り替える。自分らしさのルールやルートから離れた動きをする。
 すると、自分らしくないと思っていたことでも、意外と自分らしい世界だったということもたまにある。ただ、それは一時的なものだったりすることが多いが。
 自分を高める。自分を積み重ねる。この自分自分という自分ばかりが出てくる世界が嫌なためかもしれない。
 自分から離れることも大事で、それができなくなったとき、故郷の本来へと戻ればいいのだ。
 
   了
 
 


2019年5月17日

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