小説 川崎サイト

 

佐々峠


「佐々峠をご存じか」
「知りませんが」
「では何か思い当たるところは」
「佐々成政の冬の日本アルプス越えですか」
「その佐々さんとは違いますが、妙な峠でしてねえ」
「追い詰められていた佐々成政は日本海側から山を越え、家康に合いに行くため太平洋側へ出たのでしょ」
「佐々峠は中部の山岳地帯にはありません。京の都からほど近い峠道でしてな。そこを越えると日本海側へ出られます。これは間道でして、誰もそんなところを通る人はおりません。一つ道ではなく、ただの山道を繋いだだけ。その繋ぎ方は土地の人でも知らない。だから街道ではありません。その都からの入り口が佐々峠。日本海側から来た人にとっては都へ入る峠。そこからは都は見えませんがね」
「その佐々峠がどうかしたのですか」
「この峠が曲者でしてね」
「都の近くなら、そんな険しい山はないと思いますが」
「峠近くには里があります。都とは目と鼻の先ですからね。京に都が移る前から住んでいた人達もいます。早くから開けていたのでしょう」
「はい」
「日本海側は若狭の海。古くから大陸との行き来があります。昔は日本海側が表玄関だったのでしょうなあ。その若狭から都へ入る人は琵琶湖に出ます。そこから船に乗った方が楽ですからね。まあ、これは余談です」
「佐々峠は今もありますか」
「ありません。元々そんな名前の峠など存在しません。山の向こう側へ出る峠はあります。地元の人でもそれを佐々峠とは言わない。それが間道の入口だと知っている人だけが呼んでいるのです」
「はい」
「昔、都でその話を聞いた物好きが佐々峠を越えました。そのまま戻ってきません。数年後、戻ってきましたが、何処をどう歩いたのか、何も覚えていないとか」
「ははあ、そういうお話しでしたか。じゃ、日本海側への間道というのは」
「それはあります。都から脱出するとき、京盆地から出る道の一つでしたから」
「じゃ、今でもその峠はあるのですね」
「あります。山も昔のままあります。これは消せないでしょ」
「はい」
「そういう話がお好きなら、行ってみられるといいでしょ」
「遭難しそうなので、やめておきます」
「それがよろしい」
「でも、あなたは、どうしてそんな話をご存じで」
「私は佐々峠から下りてきた者です」
「ああ、木樵でしたか」
「いいえ」
「じゃ、若狭から来られたとか」
「違います。どこから来たのか、分からないのです。気が付けば佐々峠に立っていたのです」
「大丈夫ですか」
「はい、達者です」
「いえいえ、どうかお大事に」
 
   了

 
 


2019年5月21日

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