小説 川崎サイト

 

麦茶とグリーンティー


 妖怪というのは人々の頭の中にいる。しかし、それが出てきてもらっては困る。だが頭の中から妖怪を出している人などいない。何かが頭の中にいるとしても、それを出したりしない。出すとか出さないとかの問題ではなく、思いつきもしない。
 そしてそんなバケモノを出してしまうと、面倒で仕方がないだろう。誰にでも出せるのなら世の中バケモノだらけになる。
 バケモノがいるのはその人の頭の中の世界で、それが世の中に出てしまったとしても、それはまだその人の頭の中の世の中で、閉じ込められた世界なので、他の人にはその世界のバケモノなど見えないし、また感知できない世界。
 この論理ではお一人様お一人世界で、人の数だけ、つまり頭数だけの世界があるという話になり、それでは世間一般の中では困った説となる。
 つまり、その人が見たり接したりしている人々も全てその人だけの世界の中の人となる。これはいけないだろう。
 ただ、人は一人になったとき、たまにそんなことを思うものだ。
 というようなことが書かれている本を妖怪博士が読んでいるとき、いつもの担当編集者がやってきた。
 それよりも頭の中の妖怪を出してしまった後の話を読みたかったのだが、訪問者なので中断。
 そして編集者を奥の六畳に招き、お茶を出す。まだ麦茶には早い時期なのだが、妖怪博士は麦の香りが好きで、冬でも麦茶を飲んでいる。玄米茶が麦茶になった程度で、当然温かい麦茶。これは色の濃さを楽しむ。
 編集者はいやに静か。座ったままじっとしている。何か困ったことがあるのか、それとも言い出しにくいことでもあるのだろうか。
 彼を見ていると、先ほどの本を思い出した。これも妖怪博士の世界にしか存在しない人間なのか。また、彼の編集部へ行ったことは今までない。彼は彼なりの仕事を普段をやっているのだろう。だから妖怪博士の世界だけに出て来る一キャラで、その面だけの塊ではないはず。
「どうかしましたかな」
「いえいえ。近くまで寄ったので」
「まあ、休憩して行きなさい」
「ところが」
 いきなり来た。
「話し辛いことがあるのです」
「それで静かなのかね」
「実は危ないのです」
「何が」
「会社が」
「ほう」
「もうお目にかかれないかもしれません」
「それは大変じゃ」
「それで、いつもの妖怪談ですが、今回で最後に」
「それは寂しい」
「はい」
「それで、行くところはあるのですか」
「探していますが、出版関係は無理です」
「ところで」
「え、何ですか先生」
「君は君だったね」
「え」
「いや、いい。何でもない」
「はあ」
「君が勤めている出版社、本当にあるのかな」
「まだありますよ。潰れるかもしれませんが」
「そういう意味じゃなく」
「他に意味はないでしょ」
「そうじゃな」
「一度でもいいから博士と一緒に妖怪を見たかったです」
「一度ぐらい出てきたじゃろ」
「そうでしたか」
「まあ、妖怪などどうでもいいことだ。身の振り方の方が大事」
「何とか、食っていきます」
「で、これで最後なのかね」
「はい」
「長い間ご苦労さんでしたなあ」
「いえいえ、こちらこそ」
 編集者はお通夜の席から立つように、そのまま静かにはけていった。
 妖怪博士は編集者のことをいろいろと考えた。しかし、ほとんど何も知らない。ただの仕事関係の人間なら、そんなものだろう。
 テーブルを片付けるとき、出した麦茶が減っていない。
 お茶を飲む気力もなかったのだろうか。それとも温かい麦茶は嫌いなのか。暖かくなってからは冷めてから飲んでいたように思う。だが、今日はすぐに帰ったので、飲むタイミングがなかったのだろう。
 妖怪博士は先ほどの本の続きを読もうとしたが、やはり編集者のことが気になり、活字を追えない。
 そこでまた訪問者。玄関戸が勝手に開く。鍵は掛けていないが、勝手に開ける訪問者はいない。玄関戸が開き、閉まる音。廊下を歩く足音。そして奥の六畳までそれが近付いて来る。
 妖怪博士は本を閉じ、さっと身構える。
 六畳の間の襖が開く。
「暑いですねえ」
 先ほど通夜の客のように帰った編集者だ。忘れ物でもしたのだろうか。
「さて、原稿はできてますか」
「き、君は」
 では、先ほど来たのは誰だろう。
「出版社が潰れるのかね」
「まだ、粘りますよ。簡単には潰れませんよ。そのためにも、面白い妖怪談、書いて下さいよ。最近子供だけじゃなく、大人の読者も増えているようなので、好評です」
 では先ほど出てきた彼は何だったのか。
 まさか妖怪博士の頭の中から出てきたわけではあるまい。
「今回の妖怪は、何でしょう」
 妖怪博士は先ほど別れ際にその原稿を編集者に渡したような気がする。しかし、よく考えると、原稿などまだ書いていなかった。
 書き上げていない原稿を渡す。あり得ない。だから、先ほど来た編集者もあり得ない。
 夢でも見ていたのだろう。それで、先ほどまで読んでいた本だが、テーブルの上にない。
 これは妖怪などとはジャンルの違う世界。ややこしい世界に入り込んだのか。
 編集者は鞄から缶コーヒーを二つ取りだした。
「あ、お茶を」
「いいです。グリーンティーがどうも苦手で」
 最近妖怪博士はグリーンティーを飲んでいた。麦茶ではなく。
「まだできていないのなら、何か喋って下さい。そこから起こします。毎度のことでしょ」
「あああ、そうじゃったなあ」
 妖怪博士は頭の中から湧き出す妖怪の話をした。
 その途中で、目が覚めた。
 麦茶もグリーンティーも全部夢だったのかと思うと、大きな安堵を覚えた。
 目が覚めたのは担当の編集者が来たためだ。
「先生、博士、と玄関口で呼んでいる。
 妖怪博士は怖々、玄関戸を開けた。
 妖怪博士担当編集者、いったい何人いるのだろう。
 
   了



 


2019年5月31日

小説 川崎サイト