小説 川崎サイト

 

非熱心


 青葉繁る候、勢いのある頃なのだが、武田は簡潔に、簡単に済ませたいと淡泊なことを思う。深い思いではなく簡単な思い。単純な思いだ。思い方、考え方が簡単なので、すぐに思い付くようなこと。いや、思うまでもなかったりする。
 簡単に済ませる。これは暑くなってきたので、そちらへ向かうのだろうか。本来の目的に対しての挑み方ではなく、その日の気分や体調で左右される。それが年々シンプルな方面へと向かっている。凝ったことをするのが暑苦しくなったのだ。さらに夏場は余計にそれが来る。
 面倒なことはしたくない。これがメインになり出すと、もうあまり目的に拘らなくなるのだろうか。目的も、それに合わせて変わったりする。すると、最初考えていた目的は大したことではなかったことになる。簡単に変えられるものなので。
 気分もよく、気候も勢いがよいとき、逆に何もしないでいると、非常に効果的だ。
 それで相変わらず、その日も簡単に済まそうと思っていたのだが、既にその状態になっていた。これは習慣化するのだろう。すると、それが普通になる。
 簡単に済ませるとはあまり気を入れないで、力まないで、熱くならないで、さっとやってしまうこと。この場合過程を楽しむとか、充実感に浸りながら進むとかではなく、そういうものから解放されて、淡々とやること。しかし、ある意味これは極意で、なかなか辿り着けない道かもしれない。
 腕の立つ職人ほど手を抜くのが上手いという。懸命に仕事をしているような振りが上手い。しかし本当は見ているほど力を込めていないし、疲れないようにしている。熱心にやっているように見せるのが巧みなのだ。
 仕事をしていても休んでいるようなもの、というわけにはいかないが、休ませ方が上手いのだろう。長年培った技というのは、この手の休め方にあるのかもしれない。そして手が動けば勝手にできていく。細かいことを考えたりコントロールしなくても、それらは手が覚えているのだろう。
 武田が簡単にしたいとか、楽をしたいとかの怠け心は、実は達人へ向かう道かもしれないと、とんでもないことを考えた。本当は一番難しい道なのだ。
 しかし、その入口は懸命にやることでも、集中して汗を流すことでもなく、手を抜くことから始まる。
 それで武田は今日も非熱心な姿勢で、仕事を始めた。
 
   了

 


2019年6月22日

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