小説 川崎サイト

 

絵になる男


 見かけない男が居酒屋の片隅や、安っぽいバーで飲んでいる。男から見ると見知らぬ町でただ一人。それが板に付いたように見事に似合っている。最初から内装の一部のように。
 その男、黒田はそんなことを思い出していた。以前の話だ。そんなこともあった程度。
 見知らぬ町で一人たたづむ男。
 もう黒田はそんなことはしなくなった。これだけ絵になる男なのだが、用事がなくなったため。そのため、わざわざそれだけをやりに見知らぬ町へ出掛けるようなこともない。これはついでだったのだ。
 出張で全国至る所に行かされたことがあり、これがいやでいやで仕方がなかった。しかしいい時代で出張費は出るし、経費を浮かせば毎晩飲んで過ごせる。給料もよかった。
 いま、それをやりたくても、なかなかできるものではない。逆に黒田は出不精で、誘われなければ旅行に出ることはない。仕事で行ったときのついでなのでできたこと。しかし素性を隠し、まるで旅の人、さすらい人のような振る舞い方で通した。
 実態は地方回りの営業マン。しかし、年中旅して回ることには変わりないが、真面目な勤め人だったのだ。
 しかし、あの頃、いやいやながら行かされていた地方都市の数々を思い出すと、一番よかった時代ではないかと回想の中で酔いしれている。
 特にドラマがあったわけでもない。しかし、それを知らない人達にとり、謎の人物で、普通の人ではなく、何か特別な人だと思われていたようだ。しかし一見さんに近く、仕事が終われば、もう二度とその町に姿を現すことはない。
 黒田はあの頃のように、また地方都市の繁華街の夜をウロウロしてみたいとは思うものの、それだけを目的で出掛けるわけにはいかない。
 そして、もう年をとりすぎていた。出掛けるだけでも大層で、ほんの数キロ周辺の町内が、いまの行動範囲。あれほど旅慣れ、絵になる男だったのだが、いまはその面影もない。
 
   了
 


2019年7月3日

小説 川崎サイト