小説 川崎サイト

 

原点に戻れ


 日常化したもの、最近やっていること、いつも通りのやり方、等々形ができてしまったものがある。いつの間にかそうなっていたことも多い。不都合があり、それを治しているうちにできてしまったスタイルとか、今では型にはまり、パターン化したもの。
 そういうのも日々の中で徐々に変化し、または古くなってくると、新しいものに置き換えられる。特に意識しなくても、十年前買った家電が故障したので、新しいのを買いに行くと、もうそんな十年前と同じようなものはなく、今風なものに変わっている。最初は戸惑うが、そのうち慣れてくる。
 だから十年、二十年年前のスタイルとは違っている。そして原点。
 原点に戻れというところの原点。これは何処にあるのだろうか。過去の何処かの時期にあるはずだが、うんと遡れば赤ん坊になってしまう。
 これはスタイルのスタイルが決まりだした頃から固まっていくのだろう。そして、何かの原点とは、そのきっかけとなった時期だろう。そのときのスタイル。それを原点と呼ぶなら、ほとんどのことはその原点から離れてしまっており、違うものに変化していたりする。先ほどの家電と同じだ。ただ、自分のスタイルに近いものを選ぶはずだが。
 つまり原点は移動する。それでは原点とは呼べないのだが、意味として、架空の原点のようなものが抽象化されて存在するのだろう。ないのだが、ある。幻の原点だ。
 そして、本当の原点はそれほど遠くはない。うんと昔ではなく、つい最近だろう。つまりこの前まで使っていたものとか、やり方とか、スタイルとか、そういったものだ。それは本来の原点から見ると子孫だろう。その最先端が今なのだが、これは変化していく。過去は変えようがないが、ここは変わる。また変えざるを得なかったりする。自分は変えたくなくても、時代が変えることを強制したりする。
 だから原点はついこの前まで日常的にやっていたことと考えれば、これは原点というような大層なものではなくなる。
 しかし、原点に戻るよりも、その最近の、少し以前には戻りやすい。つい先月とか、去年の今頃とか、そのあたりの距離なら、見えている。そして具体的だ。
 だから原点は比較的新しい。それを原点と言えるのは定着していたためだろう。いつもの物とか、いつものやり方とか、そういうパターンが出来上がっている。この少し前にある原点なら分かりやすい。
 原点に戻れとは、新たなものをやろとして失敗したときに多く使う。新たなものがいずれ原点のようなものになるとしても、それがなかなかパターン化しなく、また馴染みにくかったり、または間違っている可能性がある。だから一つ前に戻れ、上手くいっていた頃に戻れ程度の原点の使い方のほうがいい。
 原点の子孫達が、原点を塗り替えていく。そして本当の原点は、今では通じないような原点になっている。時が流れ、周辺も変わり、また本人も変わるためだろう。
 その意味で、ありもしない原点復帰など、リアリティーがなく、夢を見るようなものだ。
 遠い原点には戻れない。だから敢えて、そこへ戻れと願うのだろう。
 
   了

 


2019年7月11日

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