小説 川崎サイト

 

訳の分からない人


 友田はある日突然気落ちしたような気分になる。これは上へ行くほど落ちるようだ。登った分だけ落ちるのだろうか。しかし、かなり落ちる。実はこの降下気分を味わいたいがために登るのだろう。しかし、そんな気はないのだが、ある程度上り飽きたところで、すっと落ち出す。まるで気落ちしたように。
 気持ちが落ちる。沈む。これは何かと考えた。頂上が見え始めた頃に、それが起こるようで、目的とするものが、すぐ近くに迫ったとき、ふと降りてみたくなる。下へ。だから落下。
 これは頂上を眺めたとき、この程度か。と思うためだと友田は自覚している。上り詰めても仕方がないかと。
 目的を果たせば喜ばしい。全ての努力や蓄積がここで一気に花開く。だからもうそこに手が届いているのだから、登り切ったほうがいいはずなのだが、そうならない。
 これは事柄にもよるのだろう。たとえば簡単に手に入るもの。誰でも手に入るものなら、問題はない。目的を果たす。石けんを買いに行き、石けんを手にする前に買わないで戻ることはないだろう。石けんを買うなどは難しい問題ではないためだ。
 また貰えるものは貰う。これも簡単に手が入るため。
 そのタイプではなく、長く願っていたものとか、それまで懸命にやってきたことに対して、それが起こるようだ。
 頂上が垣間見えたとき、興ざめするかのようになる。これが欲しかった目的なのかと、がっかりする。思ったよりも大したことがないと。
 そして、ここまで登ると、もうあとは簡単。いつでもまたここまで来ることはできる。それが分かっただけで、満足したりする。目的を果たすよりも、果たせることが分かったことだけで。
 そして目的を果たしてしまうと、それで一巻の終わり。そこが果てなら、もう先はない。これが寂しいのかもしれない。
 それで、スーと降下し、下の方で暮らす。別にそこに家を建てて住むわけではないが、ポジション的に下位へ行く。そのあたりにいた頃が一番楽しかったのだろう。
 目的を果たした人はその瞬間の歓喜はあるだろうが、そのあとがいけない。あまりいい感じではないことを見ているため。
 友田はそれで降下したあと、また徐々に登り出す。いったい何をしているのだろう。
 世の中には訳の分からない人がいるものだ。
 
   了


2019年7月15日

小説 川崎サイト