小説 川崎サイト

 

勉強になりました


 勢いを失った勢力は、当然勢いのある勢力に追い込まれ、勢いを失うのだが、元々勢いのあった勢力だ。だから勢力という。勢力がない勢力は勢力とはいわない。いってもいいのだが、何か悲しい。もの悲しさは失っていく悲しさだろうか。もろにものを失ったのだから。
 そういった勢いのなくなった勢力が寄り集まるところがある。これは溜まり場のようなもので、自然とそこに集まるのだろう。吹き溜まり。風が自然と運んできてくれる場所。そしてそこからは流れないで、溜まっている。
 これは個人にも言える。流れ流れて、そこに辿り着いたような。
 そこにはかつて地位も名誉もあった人が何人もいたりする。それなりに大物だった人達だ。今は二束三文。
 まだ先のある若手よりも値打ちは下。
「君はいい顔をしている」
「そうですか」
 年寄りが若者に話しかける。少し経験のある人なら、これは常套手段とすぐに分かるだろう。
 その若者は美男子ではない。どちらかというと不細工。それをいい顔をしているといわれると、容姿のことをいっていないと受け止める。だから人相。
「何かなす人だ」
 茄子になる人ではない。
「わしのところに来ないか」
 その場所は実際にはない。この吹き溜まりが、この年寄りの所だ。
 若者はやりたいことを探していた。この吹き溜まりに来たのは世間を見て回るため。勉強だ。そうしてウロウロしているうちに、何かが掴めそうだし、善い縁に巡り会えるかもしれない。
 その期待が少しある。縁だ。
「わしはこういう場所が好きでねえ、たまに顔を出す。ここには終わった人ばかりがいる。それが参考になる。失敗した人間から学ぶことも多い」
「はい」
「君には将来がある。大事な時期だ。そして君には大器の相が出ておる。これは生まれながらにして持っているもので、学んだもの、鍛えたものではない。最初からあるんじゃ。ただ入れ物だけの器だがね。だが、器だけ大きくても仕方がない」
 若者はいい気持ちになってきた。
 まあ、こんな所で立ち話も何だ。一杯やらんかね」
「はい」
 要するに、若者の金で飲もうというだけのこと。
 若者は当然この人のおごりだと思い、居酒屋へ入った。
 年寄りは身分を明かさず、世間話をしながら飲むだけ飲み、食べるだけ食べたあと、厠へ行くと行ったまま戻ってこなかった。
 店の人は知っている。しかし、売上げにはなる。カモが金を落としてくれる。若者が結局は払うのだから。
 欺されたことを知ったとき、若者はがっくりしたが、そんな善い縁が簡単に転がっているわけではない。向こうから来る縁は向こうに都合のいいようにできている。
 若者は勉強した。
 
   了




2019年7月27日

小説 川崎サイト