ステテコ親父の喫茶店
「暑くて何ともならないな」
「暑くなくても何ともならないでしょ」
「あ、そうか」
扇風機が古いのか、首振りがガタガタし、しかも音がうるさい。端に行ったときの折り返しのとき悲鳴を上げる。その悲鳴が終わらぬうちに反対側の折り返し点につき、そこでは違う音色を出す。これは滑らかだ。しかし、ゴトゴトと何度か振動する。
作田は大きな薬缶からいきなりコップへ麦茶を注ぐ。
大下もお代わりを要求するように、コップを突き出す。
「冷やせばいいのに」
「暑いときに冷たいものを飲むと余計に喉が渇く、これでいいんだ」
二人とも夏休み。特にすることがない。
「喫茶店でも行かないか、ここ、いるだけで暑くて暑くて溶けてしまいそうだ」
「そうだね」
部屋のドアを開けると涼しい風が入って来た。最初から開けっぱなしにしておけばいいのだが、それでは丸見え。ドアの向こうは廊下。板敷きで黒光りしている。靴脱ぎ場は玄関口にある。
足の裏がいい感じで冷たい。
「喫茶店かあ、あるかなあ」
「来るとき見たよ」
「花田でしょ。あそこは開いているようでも潰れている。もう普通の家だ。ドアを開けてごらん、インベーダーゲームのテーブルがあるけど、キャベツとか、メリケン粉の袋が積んである。売り物じゃないよ。ただの置き場だ」
「君は地元でしょ。喫茶店ぐらい知ってるでしょ」
「あるにはあるが、行きたくない」
「何かあったの」
「面倒臭そうな親父がやってるんだ。話しかけてくるし、主義主張が多い。世間に対して、文句ばかりいってる」
「でも二人で行けば、割って張ってまで主義主張を言い出さないでしょ」
「まあ、そうだけど」
二人はほこり臭く、また日向臭い住宅地の細い道に入り込み、そこにあるブレーンバスターという店のドアを開けた。
作田が思った通り、客は誰もいない。これでは廃業だろう。
ドアの音で目を覚ましたのか、ステテコだけのブッチャーのような親父が出てきて、扇風機のスイッチを押した。エアコンはない。
いきなりの風でホコリが舞い、大石は目を擦った。
親父は冷蔵庫からおしぼりを出してきた。しかし、タオルを丸めただけのもの。
だが、冷たいタオルで顔を拭くと気持ちがいい。大下は耳の穴や裏側や首筋から背中に掛けて丁寧に拭いた。これをしないと損とばかりに。
「アイスコーヒー二つ」
「シロップは入れますか」
「大下はいらないと答え、作田は入れてくれと答えた。
「はい」
今のところ五月蠅い親父ではない。ただ、ステテコだけなのは頂けないが。
出てきたアイスコーヒーは当然冷蔵庫で作り置いた物を入れただけ。冬場は薬缶で温めて出すのだろう。それで色が濃い。
そして案の定生クリームの瓶は口のあたりがドロドロで、入れるとダマが出てきており、溶かすのが大変。もうフレッシュではない。そして真っ白ではなく、黄ばんでいる。まあ、クリーム色だと言われればそうなのだが、かなり黄色い。
ダマが溶けきらないのか、ストローにつまり、すっと飲めない。
親父はそのまま奥にすっこんだ。
「静かな人じゃないか」
「静かに! 聞こえているから」
「はいはい」
「やはり二人だと入ってこない」
「聞こえてるよ」
「うん」
奥から笑い声がしている。テレビだろう。
一時間ほど無駄話をし、飽きてきたので、出ることにした。
何処で見ていたのか、二人がレジのようなとこに立つと、親父が姿を現した。
珈琲の値段はこのあたりの相場よりもはるかに安かった。
二人はまた埃っぽく日向臭い小径を通り、その一角から出て、アパート前まで戻ってきた。
「じゃ、帰るわ」
「ああ、またな」
二人はそこで別れた。
それから数十年。もうあの靴脱ぎ場のあるアパートも、主義主張の強い親父がやっていた喫茶ブレーンバスターも跡形もなくなっている。
大下と作田も学生時代だけの関係で、その後の再会はない。
了
2019年8月4日