小説 川崎サイト

 

水彩画の神秘


 夏休み、柏木は趣味の絵を書く絶好の機会。といってもイラストで、本格的なものではない。将来イラストレーターになれるとは思っていないし、その気もないので、好きなような絵を書いている。しかし、その時代、その年代の人が書くような絵は似たようなものになる。何処かで目に入る絵が影響しているのだろう。
 同じように絵を書いている同級生がいる。村田といい、彼は美術部にいる。その中でも一番上手い。この場合の上手さとは器用さ、技巧派。これは天性のもので、練習してできるものではない。そういった絵の上手い人はクラスに一人か二人いるだろう。特にそれを伸ばすわけでもなく、趣味で書くこともなかったりする。美術の授業で、褒められる程度だろうか。
 柏木が汗をかきながら、大きな画板を机の上に傾けた上で書いていると、村田が来た。
「美術部に入ればいいのに、部室にエアコンがあるから」
「いや、この汗がいい」
 見るからに昔からあるような学生アパート。エアコンが付いている部屋もあるが、貸主ではなく、借主が付けたもの。卒業すると多くは出ていくが、エアコンまでは運ばない。それで、エアコンのある部屋があるのだが、家賃が少しだけ高い。
「君の絵なんだけど」
「何かな」
「変わってるねえ」
 技巧派の村田は逆に、こういった個性的な絵や人に興味を持つようだ。自分にはないものを持っているため。それを無視するのではなく、好奇心がまだ旺盛で、いい感じだ。
「しかし、これじゃ売れないよ」
「ああ、そうだね。でも趣味で書いているから」
「夏休み、ずっと絵を書いて過ごすの」
「そうだよ。他に楽しみはないから」
「じゃ、将来本職でやれば」
「多いでしょ」
「ああ、多いねえ」
 村田はアクリルで書いた小さな絵を鞄から出す。キャビネサイズのパネルだ。
「凄いねえ、立体感がある」
「絵の具の分厚さだよ」
「そうか」
「今度は本物の油絵をやろうと思っている。それまでの練習さ」
 柏木は百均で売っている画用紙というより落書き帳の大きいタイプに、これも百均で売っている水彩絵の具、しかもチューブに入っていない。固形のパレットで、水の付いた筆で擦ると水彩絵の具になる。ただ薄いので、濃い赤などは再現できない。それを書いている最中だ。
 絵に詳しい村田でも、誰の真似なのかが分からない。リアルな絵ではなく、平面的なイラストに近い。輪郭線があり、彩色されている。
「これなら絵本がいいかもしれないね」
「うん、それぐらいの大きさがいい」
「こういう絵、何処で習ったの」
「習わない」
「好きな画家は」
「知らない」
「じゃ、我流。でも影響を受けた絵はあるでしょ」
「夢の中に出てきた絵かな」
「へー」
「他の絵は書けない」
「じゃ、インスピレーションってやつだ」
「いや、本当に寝ているときの夢の中に出て来る絵なんだ」
「それをコピーしてるの」
「さあ、絵がはっきり見えていないから、真似ようにも、どんな絵なのかが分からない」
「変わってるねえ」
 村田はこんな異才の柏木をやはり部に入れたい。夏の終わりになるとコンクールがある。ライバル校との戦いだ。この柏木が切り札になる。それまでは隠し札。
 コンクールは美術部対抗なので、部員でないと駄目。
 しかし、柏木はうんとは言わないので、美術部客員として参加させた。参加といっても絵を受け取っただけ。
 そして、コンクールで入選するだろうと思っていたが、村田の絵は佳作に入ったが、柏木の絵はまったく無視された。
 夢の中から写し取った絵だけに、溶けたのだろうか。具象が抽象画に変化していた。絵の具が滲んでしまい、何を書いた絵なのか、分からなくなっていた。
 村田が受け取ったときは、色つきの水墨画のようで、その透明感に感動した。文人画、俳画に近い。
 そのことを柏木に言うと、百均の絵の具はしゃぶしゃぶだからと答えたが、そんなことではないだろう。
 
   了



 


2019年8月7日

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