小説 川崎サイト

 

ボーとしている人


 岩田は暑いのでボーとしていた。暑くなくても、寒くても岩田はボーとしていることがある。無の境地に入るわけではない。そんな修行はしていないし、そんな上等なことではない。ただ単ににぼんやりしている。そんな状態で歩いていると、何かにぶつかったりしそうだが、それは反射的に分かるようだ。結構周囲を見ている。それは見ようとして見ているのではなく、自然な目配りだ。
 だからボーとしているようでいて、見るべきものはしっかりと見ているわけではない。要するに大事なことに関してボーとしているのだろう。
 そしてぼんやりと時を過ごすのが好きなようで、これが一番の娯楽とか。これもよくいわれていることで、余暇の過ごし方として、一番多かったりする。部屋でゆっくりしているとか、一人でぼんやりと部屋で過ごしているとかだ。ただ、それらはぼんやりとしていても良い状態なのでできること。
 頭をしっかりと働かせないといけないときに、ぼんやりでは困る。ボーとしており、鈍い。皆が忙しく立ち回っているとき、一人だけゆっくりでは、違和感を与えるだろう。やる気がないとか。
 では岩田がボートしているとき、何に関してボーとしているのだろう。これは休憩しているのだ。少し現実から離れて、じっとしているようなもの。
 つまり一種の現実逃避だが、頭を駆使しないので、判断力も弱い。ボーとしている状態だとそうなるだろう。
 ただ、それが幸いすることもある。すぐに判断しないため、白黒がつかない。曖昧なまま。これを優柔不断というが、決めないことも、一つの決定だろう。
 それと鋭利な頭で考えたときよりも、ぼんやりとしているときに浮かんできたもののほうがいいようだ。これが意外と当を得ていたりする。ただし、岩田だけに当てはまる正解だが。
 また岩田をボーとした鈍い人間と見る人と、慎重な人だと見る人に分かれる。思慮深い人と。
 よく考えると、もの凄く考える前に答えを出すことが多い。本当は二三日熟考が必要だったりする。それでも実際には何処かで打ち切るのだろう。
 岩田はそれを打ち切らないので、判断が遅いとか、鈍いとか言われるのだが、岩田に言わせれば、そんな簡単に出せるものではないらしい。だからいつまで立っても判断できないままの事柄が多い。
 判断を保留しすぎるのだが、保留したいわけではなく、答えが出ないためだろう。
 しかし、いいところもある。人を簡単に判断しないためだ。最初から決め付けない。当然先入観や印象が先立つのだが、どうしてそう思ってしまうのから考える。まずは自分のセンサーそのものから弄り出す。これでは遅いだろう。
 ただ、公正、公平な人だという評価もある。
 当然岩田には主義主張はない。どの主義でも主張でも、出所が臭い。
 公正な人は主義主張はしないのかもしれない。
 
   了


2019年8月9日

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