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ボランティア

川崎ゆきお



「住所は?」
「もちろん、この町内や」
「身分証明証か何かありませんか」
「持ち歩いとらん」
「運転免許証とかあるでしょ」
「わしは車は運転しておらん」
「いつもここで一人で?」
「最近は同じ時間に立っておる」
 小学生が、その老人を見ながら挨拶する。
 老人はにこやかに笑顔を返す。
「で、お名前は」
「徳三で通っておる」
「上は」
「村上や」
「村上徳三さんですね」
「そうや」
「今、挨拶して通った小学生の女の子とはお知り合いですか」
「いや、違う」
 次のグループが近付き、徳三の顔を見て、挨拶する。
「ああ、気をつけてな」
 先ほどと同じ笑顔で小学生低学年の子供達に徳三は声を掛けた。
「彼らとは懇意ですか?」
「懇意? 妙な言い方やなあ。相手は小学生やで。付き合いはない」
「では、見知らぬ子供達なわけですね」
「あのねえ君。わしはねえ」
「承知しています。ここで子供達の安全を守っておられるのでしょ」
「分かっておるなら、説明する必要はあらへんけど」
「で、誰に頼まれました」
「自治会や」
「何か証明するものはありますか」
 徳三は腕を突き出し、緑色の腕章をその男に向けた。
「ご自分で作られたのではないのですか」
「自治会から借りたもんですがな」
「お一人で、ここに立っておられるようですが、それに関して説明していただけますか?」
「わしはいつも一人や」
 今度は高学年の男子児童のグループが通りかかったが、挨拶はない。
「ちょっと君達。この人は誰だか知ってるかな」
 男は子供達に質問する。
「知らない」
「知らない」
「知らんお爺さんや」
 それだけ答え、通り過ぎた。
「もう一度聞きます。徳三さん、あなたは何処にお住まいですか?」
「この近所や」
「念のため、住所を教えてもらえませんか。近所だけでは距離が分かりませんからね」
 徳三は番地まで教えた。
 男は地図を取り出し、マークした。
「ここは分譲住宅が多い場所ですね。ここからは結構遠いようですね。それで、いつ頃引っ越されました?」
「二年前や」
「調べれば分かることですからね」
「調べてもらったら、すぐに分かることや」
「そうですか」
「どうして立っておられるのです」
「自治会に頼まれたからや。暇なら、ちょっと協力してくれとな」
「何日ぐらいになります。ここに立って」
「一週間ほどかな」
「どうして、そんなに素直に答えてもらえるのですか?」
「あんたが聞くからや」
「僕の目的、分かっていますね」
「おそらく」
「先日も小学生に危ないことをした人がいたのですよ。あなたと同じように、そういう感じで立っておられる方なんですがね。本来の目的は車や不審者から児童を守る方々なんですが、あなた達も結構怪しいんですよ。お分かりですね。その意味が」
「承知しておる」
「ナリってご存じですか?」
「ナリ?」
「なりすましです」
「ほう」
「保安ボランティアのナリである疑いがあなたにはあるのです。通報がありました」
「あ、そう」
「あなたのお住まいの自治会長の名前を言ってもらえませんか」
 徳三は即答した。
「結構です」
「隣町の事件はわしも知っておる。あれはエロ老人や。勝手に立ってはったんやろ」
「そうです。あなたと同じように緑の腕章を付けて……」
「うーん。この腕章。無地やからいかんのかなあ。何か書いて欲しかったなあ」
 男はその腕章をはぎ取った。
「あ! 何をしまんねん」
 その腕章はテープで留められていただけなので、簡単に取れた。
「これは何かの端布ですね。腕章用の生地じゃないですよ」
「わしは立ってるだけで、何もしとらんぞ。生地がどうのとかは、自治会に言ってくれ」
「何も?」
「そうじゃ」
 小学校高学年の女の子が急ぎ足で二人の前を通り過ぎた。
「何もしとらん。見るのは仕事じゃ。子供を見守っておるのじゃ。ただ見ておるわけではない」
「なるほどねえ」
 徳三は何か言いかけたが、唇が僅かに動いただけだった。
「ちょっと失礼」
 男は徳三の服を上からぽんぽん叩いた。そして、内ポケットから小型のカッターナイフを取り出した。
「それは不審者と格闘になったときの、わしの秘密兵器じゃ」
「兵器なんですか。これは凶器でしょ」
「これはコンビニで買った弁当とかが開けにくいので、それで持っておるだけで、生活用品じゃ」
「徳三さんは一人暮らしなのですか。コンビニで弁当をよく買われるようですね」
「妻はおるが、体調が悪いのでな」
 男は通りの奥を指差した。
「分かりますか? あの人」
 徳三と同じように立っている老人がいる。
「一度挨拶したけどなあ……」
「ぼけていたでしょ」
「うむ」
「誰からも頼まれないで、あそこで立っておられる。まあ、個人ボランティアです。誰にも依頼されず、どの組織にも加わっていない」
「わしは自治会から頼まれて、町内の目となって子供達を守って欲しいと……」
「自治会長から頼まれたのではなく、申し出たのではありませんか」
「そうじゃ自発的にな。最近物騒な世の中になって、町内に不審な人物がうろうろしておるんや。そこに町の目が加わることでやな、不審者を牽制するわけや」
「これは僕としては単刀直入な言い方になりすぎますが、よろしいですか?」
「どうぞはっきりと言うておくんなはれ」
「あなた達が一番怪しいのですよ」
 徳三は遠くを見たまま答えない。
「よろしいですか、徳三さんでしたね。あなたのような人間監視カメラの目で立っておられるボランティアが先日あの事件を起こしたのでしょ。その事件は報道されませんでした。未遂ですしね。それに報道したくないという強い意見で、事件は公にはなりませんでした。児童達を守る立場の人間が、あんな事件を引き起こしたのでは、もう何も信用出来なくなりますからね。もっとも警察官の不祥事には慣れていますが、お年寄りのボランティアが、ああいったことをされると、真似る人が出てくるのですよ。ボランティアになれば、ああいうことが出来るんだと、よくあることなんだ……と、思わせてしまうからです。報道するとね。よくあるニュースになる。報道されなかったのは、その心配もあってのことなのです」
「私も、それを真似ようと……」
「大いに疑いがあるのです」
「それで、お宅はんは?」
「ボランティアを見回るのが僕の役目です」
「わしらを信用せんのか」
「信用出来ない人もいると言うことですよ」
「そしたら、わしはどうや?」
「あなたの心の中まで僕には分からない。おそらく徳三さん、あなたは正常でしょう。でも、出来心、魔が差す、などが起こらないとも限りません」
「わしより、あのぼけ老人を何とかしたほうがええのとちがいまっか」
「あの人は、単に立っているだけです。害はないのです。身体も不自由なようで、歩くのも大変そうです。だから立っているだけです。だから大丈夫なんですよ。きっちりと町内の目となっておられます」
「あんたはわしにどうせよと言うのか!」
「あとはご自分で判断されることです。僕にはそれ以上の権限はありませんからね。あなたは何もまだ犯していない。だから罰せないし、取り締まれない」
「えげつない世の中になったもんや。子供を守るために奉仕でしているのに、何でいちゃもん付けられなあかんのや」
「それを利用して悪さをする人がいるからですよ」
「そしたら、わしらは安心して子供も守られへんのか」
「その行為は貴重ですよ。ですが、あまりにもあなた達が怪しい存在に見えるから見回っているのです。適当に作った腕章、警察でもガードマンでもない。身元も分からない。身分を証明するものもお持ちでない。また何も訓練をされていない。そして誰でもなれる。誰でもそこに立ち、児童と接触しやすい位置にいる。これを危ない存在だと思わないほうがおかしいのではないのですか」
「お宅は人の好意を何と思うとる」
「僕も好意でやっているのですよ」
 男は、言いたいことだけを言い、立ち去ろうとした。
「不快や。わしは凄い不快や」
「徳三さん。あなたがここを通る人に対して見せていた視線こそ不快なのではありませんか。子供を守るというのは聖域です。だから、誰もそれに対して突っ込めない。それをいいことに、普通の通行人に対して、あなたが見せた態度は、ただの馬鹿な番犬です」
「貴様! 言わせておけば。わしを犬扱いにしよったな!」
 男はそのまま立ち去った。
 しばらくすると、別の男が現れた。
 その男は徳三に一礼し、事情を聞いた。
「あの男、どうして立ち去ったかご存じですか?」
「言いたいことだけ言うたから、立ち去ったんやろ。わしはもう明日からここには立たんぞ」
「あの男もボランティアで勝手にやっていることなんですよ。保安ボランティアを監視するボランティアらしいですが、おそらく一人でやっているのでしょう」
「それで、お宅はんは」
「僕はそう言う人間を監視するボランティアです」
 
    了
 



          2003年3月8日
 

 

 

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