小説 川崎サイト

 

オールマイティー


「何でも出来る人は何にもしない」
「出来るのにしないのですか」
「少ししか出来ない。または限られたものしか出来ない人ほど、何でもやろうとする」
「逆ですねえ」
「オールマイティーではやる気が出ないのだよ。どうせ出来ることなのでね」
「はあ」
「ところが限られたことしか出来ないか、または満足に出来ないような感じの人は、それをやろうとする」
「出来ないので、やろうとするわけですか」
「そのようだ」
「どうしてでしょう」
「もし出来れば凄いからだ」
「はあ」
「何でも出来る人は、出来てあたりまえ。だから凄くも何ともない。本人にとってはね」
「はい」
「また何でも出来る人は忙しい。何でも出来るんだからね。きりがない。そして色々なことに手が出せるのだが、人がやることだ。全部は出来ない」
「それで金言なのですが」
「金言」
「教訓です。どのような言葉になりますか」
「さあ」
「今日の話はためになると思うので、金言だと思いますよ」
「いや、アルミ言程度だよ。一円玉ものだ」
「要するに、あまり力のない人ほど懸命にやるということですか」
「解釈は人それぞれ」
「力が無いので、創意工夫したりするので、伸び代があるとか」
「それもあろう」
「はい」
「それとね。出来ない箇所を何かで補おうとする。出来る人なら簡単に使える手が使えない。だから数少ない限られた手だけでやるので、洗練されたものになる」
「それは技巧派ということですか」
「いや、技巧が無いので、単純な技だけで何とかやろうとする」
「その技が素晴らしいのですね」
「技そのものは素晴らしくはない。何でも出来る人の技に比べればね」
「そのへんの境地が今一つピンときません」
「結果は先に言ったでしょ」
「え、何でした」
「何でも出来る人は何もしないと」
「それは極端でしょ。何かするでしょ」
「いや、ほとんど何も出来そうにない人ほどには懸命に何かをやろうとはしていない」
「何でしょう」
「出来れば素晴らしいと、出来てあたりまえの違いだよ」
「はあ」
「じゃ、何も出来ない人の方が色々と出来るわけですね」
「いや、何も出来ない人なので、やはり出来ないがね。出来損ないしか出来ないが、何かをやろうという気だけは大きい」
「まだ、分かりません」
「出来ないからやるんだよ」
「そんな単純なことですか」
「そうだよ」
 
   了


2019年8月21日

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