小説 川崎サイト

 

降りみ降らずみ


 悪霊が降りてきて、悪さをする。まあ、あまり悪霊がいいことを施してくれないので、ノーマルな話だ。ただ、悪霊が降りてくることはノーマルではない。常識的に、それはない。日常の中に、そんなものが始終降りてくれば賑やかで仕方がない。悪霊が降りてくれば、それを退治する側も降りてくるだろう。だから色々なキャラが降りてきて、賑やか。
 ただ、この悪霊、怨霊とか、モンスターとか、バケモノではなく、人の心の中に入り込むものとして見れば、結構降りてきているだろう。欲に目が眩む人もそうだろう。何かに取り憑かれたように、一つのことばかりやっているとか。
 そう考えれば日常の中に悪魔でも魔物で妖怪でも、色々と降りてきている。そしてそれに先立つのか、あとから来るのか、神や仏も降りてくる。
 それらは何処から降りてくるのか。単純に言えばその人の心だろう。そこから湧いてくる。
 と、妖怪博士は、そこでペンを置いた。正確には鉛筆で2Bの濃いタイプ。先は丸い。濃い鉛筆は尖らせると折れるためと、画数の多い字を書くとき、潰れるので、知らない漢字でも誤魔化せるため。
 そこへいつもの担当編集者がやってきた。
「できましたか先生」
「今書いておるところ」
「それは遅いですよ。あとどれぐらいかかります」
「いや、これは失敗じゃ」
「ええ」
 編集者は原稿を覗き込む。四百字詰の原稿用紙ではなく、コピー紙で書いている。だから文字数が数えにくいのだが、何となくボリュームで分かる。これは担当編集者なので、慣れているためだろう。
「大きな文字も小さな文字もある。どれも同じ大きさのマス目に入れるのは無理がある」
「それは、よろしいですが、どうして失敗なのです」
「読めば分かるだろ」
 編集者は目を通す。
「前置きばかりでですねえ。しかも具体性がない」
「屁理屈じゃ」
「それはいいのですが、読者は小学生なので、やはり」
「だから、失敗だといっておる」
「単純な妖怪談でいいのですよ。適当で」
「なかなか子供を欺すのも難しい。いや、子供ほど欺しにくい」
「事実じゃないのですから、妖怪談はお伽噺です。だから、そういう書き出しでないと、こんなエッセイ風なのはやはり」
「分かっておる」
「むかしむかしで始まれば、これが麻酔になります。子供はファンタジーだと分かり、そのつもりで読みますので」
「いや、たまには、よかろうと思ってな。念仏のように、意味は分からんかっても、何とかなる」
「悪霊が降りてくる話ですが、先生、具体性がないし、ビジュアル性もないです」
「だから、失敗したと言っておる」
「はい」
「実はお筆先なのじゃ」
「え、自動筆記ですか」
「ああ、悪霊が降りてきて、これを書かせた」
「そんな嘘を」
「たまには、決まりものではないものを書きたくなる」
「それは、また別の機会で」
「君は心の底から何か悪いものが湧いてこんかな」
「来ません」
「あ、そう」
「悪心でしょ。そういうのは」
「ああ、そうだな。悪霊ではないのう」
「そうです」
「分かった分かった。別の話があるので、それを持って行きなさい」
「そんなストックがあるのですか」
「昔、書いたものだ」
「妖怪談ですね」
「そうだ」
 妖怪博士は茶箪笥の引き出しの奥から原稿用紙を取り出し、編集者に手渡した。
「お茶がいるのう」
「いや、いいです。受け取って帰るだけですから」
「あ、そう」
 編集者は、さっと原稿に目を通す。
「どうじゃ」
「これは先生が書いたものですか。一寸調子が違いますが。文体も」
「ああ、昔書いたものなのでな。だからもう紙も黄ばんでおるじゃろ」
「いいですねえ。この妖怪坊主というシンプルさが」
「そうか」
「これなら使えます。持って帰ります」
「その引き出しに、入っていたのを、偶然見付けたのだ」
「え」
「書いた覚えはないし、この茶箪笥に入れた覚えもない」
「どういうことですか」
「分からん。降りてきたんだろう」
「自動転送」
「冗談だ」
「びっくりしました。じゃ、これで、帰ります」
「ああ、ご苦労さん」
「では、失礼します」
 その原稿、本当に妖怪博士が書いたものなのだが、まだ若い頃のもの。かなり素直で、話も素朴。
 しかし、内容は幼稚。坊さんに化けた妖怪談。あるようでなかったする。
 子供達にとって、坊さんというのは結構怪しいのだ。
 
   了

 


2019年8月28日

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