小説 川崎サイト



月夜草

川崎ゆきお



 深夜の散歩者は徘徊者だ。散歩と徘徊の違いはない。同じことだが、昼と夜の違いで、散歩者と徘徊者とに別れる。これは呼び方が違うだけのことだ。
 吉田は昼間の散歩者だった。近所の散歩コースを歩いていた。町内に散歩用の道があるわけではない。何の変哲もない住宅地だ。
 その吉田が夜にチェンジしたのにはわけがある。実際には昼間も歩いているので、片方だけの人間ではない。夜と言っても月夜に限る。
 吉田はもう年寄りだが、インターネットで徘徊するのも好きだ。
 つまり吉田はうろうろするのが好きな男なのだ。そこで月夜草の書き込みがあった。幸せを呼ぶ草らしく、幸福草とも呼ぶようだ。
 そして高額な値段で取り引きされているところまでたどり着いた。
 月夜草の写真も掲載されている。月の出る夜にしか咲かないらしい。吉田はその花を見たことはないが、葉の形は記憶にあった。昼間よく歩いている道沿いで見かけたのだ。
 場所は歩道の植え込みだ。誰かが植えたものではない。吉田はその雑草が月夜草に似ていることに気付いた。しかし、花が咲いているのを見たことはない。
 梅雨の季節になった。月夜草が咲く季節らしい。
 吉田は毎日月夜草をチェックしながら散歩した。そして蕾が出ているのを確認した。夜に咲いたいるのだろう。だが、花びらの形が写真と同じでないと本物かどうかは分からない。
 次の日から吉田の夜の徘徊が始まった。本物の徘徊者ではないのは、目的がはっきりしているためだ。夜中にコンビニへ行く人を徘徊者とは呼ばない。目的地があるからだ。
 梅雨時分、月夜になる確率は低い。月夜でないと咲かないというのは、嘘だと吉田は思った。ロマンチックな言い伝えだ。吉田は雨の降る夜も徘徊した。
 写真で見る月夜草の花は白くて小さい。幸福は小さなものに宿るらしい。
 これを抜き取り、ネットで売れば、かなりの金額になる。夜中うろうろしている空き缶回収者とは桁が違う。
 吉田は昼間、目星をつけていた月夜草の前に来た。街灯から離れているが、場所の特定はできる。月夜でなくても宅地の夜は明るい。
 街路樹の下にあるはずの月夜草がない。昼間と違い、位置関係が分かりにくいのかもしれない。
 翌日の昼間、吉田はその場所へ行った。歩道の余地に生えていた雑草類はことごとく抜かれていた。その近くにビニール袋が山積みされている。
 月夜草は自治会の草むしりに遭ってしまったようだ。
 
   了
 
 
 


          2007年7月15日
 

 

 

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