小説 川崎サイト

 

青い鳥逃げた


 なくしたものがある。その代わりになるものはいくらでもあるだろう。世の中に一つしかないものではなく、探せばいくらでもあるし、ごくありふれたものだ。しかし、同じようなもので、そっくりそのままのものでも多少は違う。それは分からない程度の誤差程度だが、既に手に入らないものもある。これは探しても簡単には見付からない。たとえば古すぎるもの、世の中からもう消えてなくなったものなど。
 だが、ありふれたものならいくらでも代わりは見付かるだろう。
 しかし、馴染みというのがある。これは馴染ませてやっと得ることができるもので、馴染ませるのが目的ではなく、そのうち馴染んでくるもの。これは歳月が必要。だからそういうものは簡単には手に入らない。
 よく馴染んだものでも最初はそうではなかった。それをなくしたということは馴染みをなくしたのと同じ。馴染んでいたものが消えたことになる。だから、もう馴染めない。
 だが、それによく似たものは世間にはいくらでもあるので、困ることはない。それに変えればいいのだ。そしてまた馴染むのを待つことだろう。そして馴染んだ頃、またなくしたりする。
 これは新学期で全て新しいクラスメイトと始めるのと同じ。始めは馴染みがない。だが、一年後、すっかり馴染み、次の学年に進むとき、クラス替えでクラスメイトも変わってしまう。同じ人もいるががらりと変わり、別のクラスの馴染みのない人が圧倒的に多い。
 これもいずれ馴染みだし、この顔ぶれでないといけないほどになる。つまり、慣れることで安心感があるのだろう。それは上手くいっているクラスの例だが。
 馴染むまで時間がかかるが、いずれ、以前馴染んでいたものと同等のものとなる。馴染みが加わっているかどうかだけの問題だが。
 そして、以前のものが出てきたとき、逆に馴染めなかったりする。もうお馴染みさんではなくなったためだろう。
 馴染むというのは大した努力はいらない。特に何もしていないのと同じ、ただただ慣れの問題で、慣れただけ。しかし、その間の蓄積のようなものは確かにある。長い付き合いというのは一日では得られない。
 馴染んだもの、これは意外と貴重なものかもしれない。普段はそう思わないが、なくしたときに価値が分かる。これもよくいわれていることだが、普段は気付かないし、ありがたいとも思っていない。
 貴重なものに気付かないまま貴重なものを探しに行く青い鳥現象。
 ありふれているのは本人が馴染んでしまい、気付かないだけ。他の人から見ると、凄い宝なのかもしれない。
 
   了


2019年9月11日

小説 川崎サイト