小説 川崎サイト

 

重々しい人


 重々しいものに走った竹中だが、これは今までが軽すぎたためだろう。すぐに飛ぶほどの軽々しさ。だから重いものを持ってきたのだ。そのため、それは錘。
 それは別のことでも現れる。その錘が鎧のようになり、防御力が増した。軽く見られるのではなく、重く見られるためだ。しかし、それはあくまでも見てくれで、中身は軽い。重い甲羅でドンといる亀も、甲羅を取れば中身は弱々しいものが入っていたりする。ただ、すっぽん料理の調理師でもない限り、甲羅のない亀を見た人はいないだろう。たまに車に踏み潰されている亀もいるが、甲羅と身は密着したままぺちゃんこになっているだけ。
 重々しくなったので、竹中の動きも重々しい。これはただのろいだけで、敏捷性がないだけ。しかし、気軽さがなくなったためか、動きに軽はずみなところがなくなった。これはいいことなのか、悪いことなのかは分からないが、軽率なことをしにくくなった。
 重々しくでんと構えていると、それなりにいいこともあるのだろう。ただの愚鈍でも。
 構えを変えれば中身も変わるようで、それは形から入るようなもの。何となくそれにふさわしい動きを取るもの。まあ、そういう面もあるので、竹中にに最初からないものではない。あるにはあるが、あまり使わないものがある。そのうち、自分らしくないと思い、さらに使う機会が減る。そしてないに等しくなるのだが、消えてなくなったわけではない。
 ただ重々しさ、重いものにも限度がある。それ以上重いと本当に動けなくなる。だから、ほどほどの重さがいい。
 そして重いことをしているうちに、軽い物に触れると、軽すぎるような気がしてくる。楽は楽なのだが、充実しなかったりする。
 また重々しい態度は結構落ち着く。まるで時代劇の中の人物のような演技になるのだが、そのうちそれが普通に出るようになる。最初からそんなキャラだったかのように。
 同じスピードを出していても排気量の大きい車と小さい車とでは乗り心地が違う。余裕がある。
「竹中君、最近貫禄が出てきたねえ」
「いえいえ」
「まるで重役だ」
「いえいえ」
「どういう心境かね。何かあったのかね」
「いえいえ」
「そうか、もうそれなりの年になったので、落ち着いてきたのか」
「そうです」
「悪いことじゃない」
「はい」
「しかし、一寸態度がでかいのだがね」
「いえいえ」
「まあ、そのほうが押し出しが効くのでいい」
「そうでしょ」
「うちの社長なんて、重戦車だ」
「それには負けます」
「こういうのは見てくれなんだ」
「そうですねえ」
「まあ、中身もいずれついてくるから、そのポーズ崩さないように続けなさい」
「はい」
 竹中は見てくれは重々しいがを、中身は大して変わっていない。しかし慣れてくると、居心地がよくなり、中身も備わってきた。
 意外と簡単なことなのだが、途中でその芝居をやめてしまうことが多い。嘘でも一生つき倒せば嘘ではなくなったりするものだ。
 
   了


2019年9月20日

小説 川崎サイト