小説 川崎サイト

 

思い出の中の人


 過去は戻ってこない。と思うのは、思い当たることがあってからのことだろう。
 以前行ったことのある土地、町でも山でも場所でも建物でもいい。同じことがまたできるのなら、そうは思わないだろう。消えてなくなったものならもう二度と行けない。その場所までは行けても、目的とするものがなかったりするため。
 また人もそうだ。何年何十年も経つと、もう関係が消えたりし、その人が生きていても、もう二度と会えないとか、会ってはいけないとか、そういったことがある。状況が違っているためだ。
 当然以前行った旅行先。これはそっくりそのまま戻れるかもしれない。多少は変わっているにしても。しかし、そこへ行く気がもうなかったり、また旅行などしなくなっていたりすると、思い出の地へは行けない。物理的には行けるが、問題は本人が昔のままではないということ。これが一番大きい。その時代、その年の頃は再現できない。
 そういうのは何かの拍子で思い出すことはあっても、以前ほどには鮮明には覚えていない。旅行から帰って来たあたりでは一部始終覚えている。車窓から見える山並みとか、離れた席に座っている人の話し声とか。会話のセリフ全ては無理だが。
 それが一年、数年になると、かなり間引かれてしまい、もっと年を重ねると、そういう所へ行った覚えはある程度にな。行ったことは覚えている程度。
 昨日のことを思い出そうとしても、結構忘れているのに、遙か彼方の過去のことになると、ほとんど記憶から消えているだろう。ただ、事実関係程度は何となく覚えている。
「思い出の中によく出てくる人なのですがね」
「はい、誰にでもいますよ。印象深い人が」
「ところが記憶にないのです」
「記憶にあるから思い出すのでしょ」
「はい、色々なところに出てきます」
「じゃ、記憶にあるじゃないですか」
「ところが、誰だか分からない」
「まあ、忘れることもありますよ」
「覚えていないのに忘れることもないでしょ」
「え、どういう意味ですか」
「思い出の中だけに出てくる人なのです」
「ほう」
「そんな人はいません。私の過去の中には」
「何と」
「当然名前も曖昧で、顔も曖昧です。しかし、よく知っている人なのですが、誰にも該当しないのです」
「それは夢の中での話ですか」
「違います。普通に昔のことを思い出したとき、色々な人が出てきますが、その中に混ざっているのです」
「何か、故障でしょ」
「そうなんですか」
「そうですよ」
「故障とは、また……」
「思い出というのは作られるものかもしれませんからね。その都度ね。だから、その再現装置が故障したのでしょ」
「いやいや、もっと神秘的で不思議な話ですよ。これは」
「何か影響ありますか」
「ありません。ただの回想ですから」
「じゃ、それでいいじゃありませんか」
「あ、はい」
 
   了



2019年10月9日

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