小説 川崎サイト

 

枯木灘


 秋の長雨。まるで真夏前の梅雨のようにじとじとしている。湿気でカビが生えそうだ。
 暑気落としがあるように、湿気落としをしたいと思い、何か乾燥したことを村岡は考えている。
 乾燥。それは水分が少なくなり、いずれ枯れていくよう感じ。
「枯淡の境地か」
 意味は違うが、カラッとしたもの、カリッとしたものが欲しくなった。すぐにポキッと折れそうな。粘着質がなく、しつこくないもの。
 そんなことを思っているとき、友人に若枯れした男がいる。枯れ木のような存在で、学生時代からそうだった。名を石田という。村岡は彼に合いに行くことにした。しばらく会っていない。わりと親しい間柄で、よく学校の帰り一緒に遊びに行ったりした。
 彼は神戸の灘区に住んでいる。年賀状は毎年来るのだが、住所は変わっていない。そこが実家。
 それで、彼が住む場所なので、枯木灘となる。そういう地名が他にもあるのかもしれないが、これは村岡が勝手に付けたもの。
 その石田の家へ行くのは久しぶり。二回ほど学生時代、遊びに行った。最後に行ったのは三宮で飲んだときで、終電が間に合わないので、彼の家、枯木灘で泊まった。その夜も遅くまで話し込んでいたものだ。だから、一寸した学生時代の顔見知りではない。
 村岡は松茸狩りにその日は行こうとしていたのだが、それをやめて、枯木灘に代えた。この長雨で、松茸がよく育っているのではないかと思ったのだが、毎年見付かるわけではない。山の隙間にある雑木林。ハイキング道からかなり外れているが、支流の奥の斜面にある。しかし湿気が強い場所なので、それよりも乾燥しきった枯木灘の石田を訪ねるほうがいいと思ったのだ。
 久しぶりだし、その後どうしているのかは年賀状で簡単な消息は知っているので、分かっている。相変わらず実家で暮らしているようだ。金持ちのボンボンなので、働く必要はないのだろう。
 金持ちの息子なので欲がない。それでどんどん枯れていったのかもしれない。
 小糠雨。傘を差していても濡れるような雨。その中を村岡は灘の町を歩いている。以前酒蔵があったところは、既にない。
 マンションが多い場所だが、一戸建ての家はそのマンションの敷地以上に広かったりする。そういう家が結構残っている。
 村岡の家はその中にある。木造煉瓦造りで変わった様式だ。まあ、木の板や壁土で固めるところを煉瓦を使っているところが、何カ所もある程度。基本は木造のよくある日本家屋。
 門は鉄柵で、横に勝手口がある。そこは煉瓦塀に穴を四角く空けたような入口。インターホンを押すと、すぐに聞き覚えのある石田の声が返ってきた。
 勝手口は遠隔装置で開くようだ。門と母屋までの間はそれほどないが。
 通された部屋は応接間ではなく、石田の部屋。ここはアトリエのようになっているが、絵の道具などはない。この部屋だけ板の間。以前父親が使っていたようだ。絵描きだったが、日曜画家。親も遊んで一生を終えたのだろう。
「木乃伊になっていないか心配して来たんだ」
「ああ、まだ水分はある」
「ところで、君なら枯淡の境地に詳しいと思い、聞きに来たんだ」
「枯淡」
「枯れることだよ」
「ああ、そうだなあ」
「君のように乾燥したい」
「村岡君は昔から油絵で僕は水彩画だったからねえ」
「煙草を吸うとき燃える」
「それじゃ油顔じゃなく、油紙だ」
「そうだね」
「枯れる方法はねえ、実は体質でねえ。それだけだよ。別に何もしていないから、方法も何もないよ」
「そうだったか」
「残念だね」
 村岡はそのあと、世間話を面白おかしく話した。石田はそれを聞くのが楽しいらしく、たまに枯れ木に花が咲いたように頬を紅くした。
 
   了


2019年10月17日

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