小説 川崎サイト

 

宝刀


 村岡はいいものを持っているのだが、それは宝として取って置いた。これは切り札と言うほどではないが、守り札のようなもの。滅多に使わない。普段使うのはそれよりは劣ったもの。しかし、それでもそこそこの動きはするので、問題はないが、不満に思えることも多々ある。それで違うやり方をすることで凌いでいる。
 しかし、最初から良いものを使えば何の問題もない。むしろ出来がよすぎて困るほど。実はそれで困ったわけではないが、あまりにもよくできると使いすぎない方がいいと感じる。常にベストのためだろう。これでは息がつまる。遊びがない。
 要するに村岡は出し惜しみをしている。精鋭部隊を使わない。まあ、それを出してしまうとあとがないためもある。二軍の部隊、B級の部隊を使っている方が余裕がある。いざというとき、精鋭部隊を出せばいいのだ。しかし、いざというときを作らない方がいい。
 最初から最後までいざというときばかりの戦い方をしている場合もある。全てを出し切っても間に合わないのだ。それは最初から無茶な戦いに挑むためだろう。
 宝の持ち腐れというのもある。いいものを持っているのに出し惜しみ、使い惜しみをするタイプ。ケチなのかもしれない。こんなところで使うのがもったいないと。
 しかし村岡が持っている宝はそんな大層なものではない。どちらかというと二流三流レベルのものだと思われているが、それは外見で、実際には刀で言えば名刀。馬で言えば名馬。だが、そう見えないところがミソ。これは村岡が発見し、見出したもの。
 こういうのは知る人ぞ知る優れたものだが、優れものとしての評価はなく、またそれが優れていることを知る人も少ない。気付いていないのだ。
 だが、村岡は気付いた。
 村岡はたまにその宝刀を使う。決して宝刀には見えないのが特徴。そして、さっと引っ込める。宝刀は隠し持ったままでは駄目だし、振り回しすぎても駄目。あるタイミングのときだけ、そっと使う。
 それはどのやり方でも無理なときだけ、そのやり方をする。いつもは使わない。だから、守り札のような切り札。たまに切っているが、気付かれない。
 というような案配になることを村岡は考えたのだが、そんな宝刀など、やはり何処にもないようだ。
 神業とは神しか使えないので、人では無理だ。
 
   了

 



2019年11月6日

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