小説 川崎サイト

 

祭り爺


 前日良いことがあり、燥ぎすぎて夜遅くまで起きていた。翌朝起きてみると、もうその喜びはない。昨日だけのことで、今日は平常に戻っている。祭りの後の寂しさのようなものがある。もう終わったのだと。
 年に何度かそんな祭りや行事があり、日々の暮らしから少し離れたところで遊ぶのだが、それは特別な日。そして次の祭りの日まで地味に暮らす。その地味さの溜が大きいほど祭りは楽しめる。毎日祭りならそうはいかない。
 伍平はそんなことを思いながら、朝の日課をこなしていた。疲れたのか、寝起きもよくなく、身体も怠い。祭りの後の気怠さだろう。
 そして、祭りというのは終わった翌日から次の祭りの準備が始まっている。だから祭りが日常から消え去るのではなく、祭りに関わる用事があるのだ。これは地味な用事だが、祭りが終わっても、まだ祭りを残しているようなもの。祭りはまだ続いているのだ。
 そういった気怠い状態で外に出て用事をしていると、小春日和の秋晴れでいい感じだ。朝夕は寒いが昼間は丁度いい感じで、何もしなくても幸せな感じになる。これは得をした感じ。
 当然そういう日ばかりではない。滅多にない日和。
 田んぼの畦道から山脇に出たとき、派手な半纏を着た老人が歩いてきた。祭りは終わったはずだ。
「終わりましたなあ」
 と声をかけられるが村の人ではない。
「はい、終わりました」
「次は正月だな。楽しい日は」
「はい」
「しかし、隣村の祭りは今日なんじゃよ」
「そうですか」
「わしはこれから出掛けるところじゃ。今から行けばまだ明るいうちに着ける」
「佐々村ですか」
「いや、高津村じゃよ」
「遠いですよ」
「まだ間に合う。お前様も行かないかい」
「いえ、もう祭りは終わりましたので」
「そうか」
 老人は近道だと言って村道ではなく、山越えで行くらしい。距離的にはそちらの方が近いし早い。
 山道に差し掛かった老人の赤い半纏が目立つ。まるで紅葉だ。
 山仕事をし、里に戻り、そのことを年寄りに話すと、あれは祭り爺という奴で、人じゃないから付いていくと危ないらしい。
 
   了

 


2019年11月11日

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