小説 川崎サイト

 

一枚の紅葉


「陰ってきましたねえ」
「秋晴れが続いていたので、まあ、このあたりで雨が来てもいいでしょ」
「紅葉も始まりました」
「来週の今頃は見所でしょ」
「私はこの時期の紅葉が好きでしてね。まだ青葉の方が多くて、色付いている葉は探さないと分からない。しかし、目立つので探すまでもないのですがね。一本の大きな木で最初に色付く葉があります。桜の花もそうです。ひとつだけポツンと咲く。だから桜の紅葉も、まずは一枚の葉からです。その葉を見付けるのが好きでしてね」
「見えますか」
「遠目が効きます。近くは老眼で見えにくいのですが、まあ、色目ぐらいなら何とか分かりますよ。文字は読めなくてもね」
「変わった趣味をお持ちで」
「いえいえ、これは趣味にはあたりません。それに紅葉狩りに出掛けるのではなく、通り道で発見する程度です」
「日々の中に風流を」
「風流というほどじゃありませんよ。歩くついでに見ているだけですから」
「そういう精神状態はどうやったら培われるのでしょうか」
「ああ、それは暇だからですよ。ただ単に歩いているだけじゃ退屈でしょ」
「風流は退屈から生まれるわけですな」
「そうかもしれません」
「僕は精神がいつも平和ではないのか、そんなところに目は行きません。いつも心の闇ばかり見ています。自分自身のことで一杯一杯で、そんな色付いた葉など探そうなんて思いも付きません」
「さあ、これは精神状態とは関係がないように思いますよ。別枠です。だから趣味の世界なのです」
「趣味ねえ」
「自分とはもう離れた世界です。世間ともね。こういった四季のうつろいは」
「いやあ、勉強になりました」
「そうですか、役に立ちませんよ。だからいいのですがね」
「役立たないことをやる。それは余裕ですねえ」
「いやいや、気を逸らし、そして怠けているだけですよ」
「僕も風流を入れてみます」
「いかにもの風流人は風流人じゃないのですよ。風流を装うのは風流じゃない」
「あ、了解しました」
 
   了

 


2019年11月14日

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