小説 川崎サイト



和食ファミレス

川崎ゆきお



 私はファミレスで夕食を食べていた。
 そのファミレスは大衆食堂を模したシステムだ。
 ドアを開けると傘立てがあり、もう一枚ドアを開けると左にレジ、右に手洗い。その並びにお盆が積まれており、そこに湯飲みを乗せ、前に進むと、惣菜が並んでいる棚に達する。
 好みのものを盆に乗せ、そのまま進むと、ご飯を盛ってくれる場所。ここには人がいる。さすがに白いご飯を茶碗に盛った状態で並べていない。味噌汁もそうだ。
 そして好きなテーブルへと運び、いきなり食べ始められる。
 大衆食堂にあるような惣菜は網羅されている。大根や里芋の煮付けや、キンピラゴボウやヒジキ、ホウレン草のお浸しや漬物などだ。
 この品揃えは洋食メインのファミレスにはない気安さと、慣れがある。
 その慣れとは、日本の家庭料理の慣れであり、また大衆食堂の慣れでもある。
 私はその日、風邪で微熱が続き、頭がふらふらとし、とてもではないがスーパーへ食材を買いに行く気にもなれず、また作る気力もないため、この和食ファミレスのお世話になることにした。
 年を取ると牛丼を食べるだけの元気も失せる。やはり先祖から受け継いだ農耕民族の遺伝子がものを言うのか、豆腐や大根が胃に合うようだ。
 特に今日のような風邪の日は食欲もなく、天麩羅や揚げ物ではなく、あっさりとした野菜の煮付けが食べたくなる。
 大きなガラス窓の向こうは駐車場が広がり、その上に真ん丸い月が顔を覗かせている。この見晴らしの良さは目にも嬉しい。
 自室でテレビを見ながら、一人で横着な格好で食べるよりも、気が晴れる。
 病んでいるときは気も弱くなるためか、人の気配が欲しいのだ。
 ホウレン草のお浸しの上にまぶしてある鰹節が鼻息で飛んだ。
 お盆から飛び出し、テーブルの上にカンナ屑のように舞い散った。箸で追っていると、その角度の延長線上に見知らぬ老夫婦の姿を捕らえる。
 その仕草を老夫婦は見ていたらしく、女房殿はにんまり、親父殿はふんと鼻で笑う。
 私は照れ臭かったので、ヘーゲル哲学を読んでいるときのように眉間に皺を寄せた。
 私にとっては鰹節の飛び方が理不尽で、非合理だったのだ。
 親父殿は胡座をかいていた。和食ファミレスなので違和感は少ない。鼻も胡座をかいており、こういう親父殿とは接したくない。関わると押し込められそうで、損しかしない相手だ。
 女房殿はそれを何十年も受けて来たのか、当りを受けるのが上手い力士のような体型だ。顔面でまともに受けてきた痕跡が目と目の間の横皺が物語っている。
 先ほどから目眩が始まったのか、周囲がゆっくりと回り始めた。視点を一カ所に据え置いても流れるのだ。きっと悪いものを、健康によくないものを目の当たりにしたためだ。
 悔やんでも仕方なしと箸を取り直し、ホウレン草のお浸しを口に運ぶ。
 ポパイなら元気になるところだ。
 柔らかい繊維ではあるものの、それを奥歯で磨り潰すとき、頭にズンズンと響く。
 私は本当に拙いと思った。こんなところで倒れたくない。意識を失いたくない。
 私はご飯を飲み込んだ。喉が詰まりそうになる危機感で、意識はましになった。
 私は回復を楽しみながら気を取り直し、周囲を眺める余裕も出た。
 親父殿が立ち上がり、伝票を掴んだ。そのあと、親父殿は意外な方角へ向かった。
 それは左ではなく右だった。
 レジは左側なのだ。右には出口さえない。しかしトイレがある。
 そういうことかと了解したが、女房殿もそれに従っている。
 親父殿は厨房前に立っているパート主婦店員と何やら話をしている。
 私は聞き耳を立てた。
 親父殿はその女店員に伝票とお金を渡したようだ。
 この一連の流れが私のリズムを狂わせた。
 それは存在に対する何かに喝を入れられたような感じだった。
 私が知っているリズムでは、料金を払うときはレジに向かうはずなのだ。
 親父殿はここをファミレスだとは思っていないのだ。
 親父殿は飯屋でご飯を食べたときと同じように、近くにいる店の人に直接料金を手渡したのだ。
 店員はそれを受け取ったのか、老夫婦はレジを素通りし、店を出た。
 私は道路の段差にいきなり落ちたように、頭が十センチほど沈んだ。
 一瞬、目の前が真っ暗となり、やがて視界が再起動した。
 そこは巨大な大衆食堂だった。
 左側を見たがレジはなかった。
 子供の頃、病院の帰りに生まれて初めて入った大衆食堂に似ていた。やけに広く、そして大勢の人々が食事をしていた。
 靄がかかっているわけではないが、遠くまで見えないほど広い。
 近くに座っている親子連れの服装は遠い昔のもので、お母さんは和服だった。
 私は十センチ落下した頭を上がって来るまで、この光景を興味深く眺めていた。
 
   了
 



          2003年4月30日
 

 

 

小説 川崎サイト