小説 川崎サイト

 

冴えない話


 今日もまた今日が来たのだが浅田は冴えない。毎日冴えていると、逆に疲れるので、たまには冴えない日があってもいいのだが、最近そういう日が多い。それで何とか打開しようと、色々と刺激的なことをやるのだが、それほど持たない。夜半までは盛り上がっていたのだが、朝になると、戻っている。
 頭が冴えれば良いというわけではないようで、むしろぼんやりとしているときの方が、物事もよく見えるようだ。しかし、このぼんやりもなかなか難しい。これほど簡単にできてしまうような行為、行為というほどではなく、ただ単にぼんやりしているだけなので、何もしていないのに近い。だが、それを作り出すのは結構難しい。ぼんやりを狙っても、なかなかぼんやりにはならない。ぼんやりではなく、冴えない状態になら簡単なのだが。
 だから頭が冴えるよりも、この恍惚状態の方が難しい。これは呆けているようなものだが、結構至福状態。日向ぼっこをしている猫が、徐々にうつらうつらとしているような状態。尖った発想よりもまろやかな発想になるようだ。
 しかし浅田はそれは趣味には合わないので、熱中しているときのハイテンションを好む。まだ若いためだろう。現実の上で事をなしたい。幻覚でも見ているような朦朧感ではなく。
 しかし、頭が冴えない状態、物事に対して何か空々しく感じ、どうでもいいかとなるような状態を少し続けていると、意外と、そのためのおかげでか、反動でか次は冴えることがある。何か糸口、突破口を見付けたのだろうか。それこそあらぬ幻想かもしれないのだが、これは実用性がある。
 幻を追うことに実用性はなく、掴んでも幻なので、現実性がない。しかし、幻の城、幻影城だが、そこまでは現実のところを通って行く。幻影城には辿り着けないというより、現実には存在しないが、過程は現実であり、存在する世界。だから幻影城周辺は具体的な世界なので、そこから得られるものが結構ある。
 まあ、旅先でのお土産のようなものだが、これは持ち帰られる。
 だから冴えない状態が続いていても、それは時期というもので、その次は冴え冴えしく思えるものが出現する。
 浅田はそう思うことにし、冴えない状態も、何らかの肥やしになるので、冴えない状態でも楽しむことにした。つまり冴えないことを満喫する。
 これが上手く行けば冴えない状態のときも悪くはないとなる。冴えているときには味わえないものが味わえる。
 というようなことは冴えないときだから思い付く冴えない話なのだろう。
 
   了



 


2019年11月23日

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