小説 川崎サイト

 

枯れ葉の道


 秋の終わりにしては暖かい日で、冬ごしらえでは暑いほど。岩田はいつものように散歩に出たが、汗が出てきた。それで分厚いジャンパーを脱いでもいいのだが、手に持たないといけない。それも面倒だし、括り付けると余計に暑い。腹に巻くと腹巻きになってしまう。
 巻いていたマフラーも解き、湯上がりで首に引っかけている程度にしたが、それでも首が暑苦しいので鞄に入れた。
 歩くとカサカサ音がするのは落ち葉。葉の僅かな厚みや萎れ具合で、少し弾力を感じる。落ち葉の絨毯というほどではないが、いつもの舗装された表面とは違う。
 落ち葉は目の前でひらりと落ちてくる。ひっきりなしに落ちてくる。落ち葉だが、まだ落ちていない空中にいる葉はどういうのだろう。枝から落ちたところなので、やはり落ち葉だろうか。
 舗装されているので地面に変化はないものの、こうした落ち葉や、雨が降ったあと、僅かにできる水溜まりは、それほど平らではないためだろう。マンホールのあるところなど、少し窪んでおり、水が溜まりやすい。その上を歩くと滑りそうになったことがある。これは新しい靴を履いたとき。スケート靴のようによく滑った。普通のゴムではなく、樹脂のためだろう。土や砂を噛むと、滑らなくなる。
 ここは桜並木の歩道だろうか。横は車線だが、区切られているので歩きやすい。たまに自転車とすれ違う程度。
 新しくできた道のようで、真っ直ぐに伸びている。強引に直線で貫かれているのは、強引に立ち退かせたのだろう。そのため、斜めに切れた家がある。断面が尖っていたりする。
 水平線まで続くわけではないが、肉眼では道の奥は見えない。トンネル状の一番奥はもうぼんやりとしている。だが、その向こうにある山はよく見える。そして少し歩いた程度では山の形は変わらない。ずっと同じ高さ。
 雲はなく晴天。所謂秋晴れで、年に何回もあるようでいて、結構少ない。
 晩秋の色付く歩道を歩く。今日という日はすぐに忘れるだろうが、何処かで覚えているはずだが記憶のほとんどは使わないので、忘れるが、無理に潜り込めば多少は回復する。ただ、違う日や違う年が混ざっていたりしそうだが。
 岸和田はこの記憶に残らないようなものを儚く思う。忘れてしまうことなので、そんなものだ。
 色艶がよく、少し模様のようなものが入っている落ち葉があった。他の落ち葉とそれほど違わないのだが、光線具合や角度で、目立ったのだろうか。
 もっと艶があり、模様も複雑で、虫食いあとなどがあるのは柿の葉だ。色目が複雑で、まるで焼き物。
 岸和田は急に柿の木がある場所を思い出し、そこへ向かった。
 
   了

 


2019年11月26日

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