小説 川崎サイト

 

夢の中の意識


 朝、目覚めると、いつもの自分がそこにいるのは考えなくても分かることで、他人になっているわけがない。また違う自分になって起きてくるわけでもない。どちらもそんなことが起これば朝から大変だろう。目覚めが遅かったとか、悪い夢を見たとか。もう少し寝ていたいとかのレベルではない。
 寝ているときは意識はない。起きているときのような自分というのが消えている。営業していない。しかし深夜営業ではないが、夢は営業している。まさに深夜劇場。このとき意志のある夢がある。自分の意志のようなもの、この場合、コントロールは難しい夢もあるので、意識だろう。だから寝ると意識がなくなるわけではなく、夢の中に移っている。ただ、見ているだけで、映画鑑賞のような夢と、その映画の中の人物となり、その最中にいる場合とがある。
 危なくなれば、逃げ出さないといけないし、また攻撃しないといけないので、その意志が働く場合もあるし、それも含めて見ているだけなのかもしれないが、どの程度コントロールできているのかは曖昧。
 また、自分ではなく、他人の意識になっている場合もある。そこでの主人公は自分ではなく、別人。だから他人の意識であり、自分の意識ではないのだが、まるで憑依したように、その人を動かしている。またはその人を引き受けている。そしてそれが自分だと夢の中では思っている。明らかに自分ではなかったというのは覚めてから分かるのだが。
 ただ、途中で、これは自分ではないなあ、と気付くこともある。様子がおかしいので、分かるのだろう。
 ただ単に見ているだけの夢でもコントロールできそうなシーンがたまにある。これは目覚める前が多い。夢の終わりがけ。そして話がハチャメチャになり、しっかりとした筋書きが消え、乱れてしまうが。こういうときは目が覚める。
 だから寝ているときでも意志があるのだ。夢の中で、まだ自分をやっているし、他人をやっている場合もあるし、ただ単に見ているだけのこともあるが。
 だから、寝ると意識も落ちるのではなく、別のところに飛んでいる。この飛び先は夢なので、話を選べないし、映像も選べない。
 夢の中の意識、それは外に向かっての意識ではなく、内側へ向かってなので、本人はただただ眠っているだけ。夢の中で駆けても、実際には走っていない。
 当然、夢など見ないまま起きてくることがある。実際には見ていたのだが、忘れているだけなのかもしれない。
 夢は願望の表れであると、言った人がいたが、その通りの場合もある。以前に果たせなかった欲望のようなものが、そこで果たせたりする。ここが微妙なところだ。夢の流れのまま見ておれば果たせた夢を見続けられたかもしれないのに、ここで見ているだけではなく意志が働き、より積極的にそちらへコントロールしようとした瞬間、スムーズに進んでいたシーンが急に乱れ出したりする。
 要するに意識しすぎたのだろう。意識過剰で夢も乱れた。
 現実の中に夢が介入するのではなく、夢の中に現実的な自分が介入するのだ。どちらにしても介入は不自然で、流れが変わるのかもしれない。
 さて、普通に毎朝目覚めるのが、やはり少しだけ意識が違う。色々なところに原因があるのだろうが、目が覚めた瞬間、一瞬のうちにリアルな現実が入り込むのだろう。まさに一瞬のうちに起動するようなもの。だから、起きるという。
 この起きたとき、一瞬にして状況などを把握するはずで、それはもの凄く現実的なことだ。
 昨日と今日とでは同じような日でも、やはり少しは動いている。同じ日が続くこと自体、そのことが続くと言うことが起こっているのだから。
 安らかな目覚めとかは、寝方によるのではなく、枕の高さも関係するだろうが、昼間を引き継いだものから来ているはず。
 悪いことをすると目覚めが悪いことをした、とも言う。
 
   了
 
 
 


2019年11月30日

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