小説 川崎サイト

 

思わぬこと


 世の中には思わぬことが起こる。起こってみればさもあらんということもある。できれば起こって欲しくないことで、思っていなかったことではないのかもしれない。思いたくないことだろうか。
 結果がいい場合もある。思ってもみなかった良い事が起こるとかもある。望外ともいうが、それなりに高いところも見ていたはず。しかし現実にそうなる可能性は低いと思っていた程度。実は思っていたのだ。
 また、落胆したくないので、希望を控え目にいう場合も。
 ただ、控え目なのに、達しなかったりするとショックだろうが、最低限、ここは果たしたいという線はあるだろう。
 しかし、世の中には本当に思ってもいなかったことが起こる。掛け値なしで、思いもしていない事が起こる。これが吉と出れば幸い。こんなラッキーがあると、世の中楽しくなる。滅多にないし、ほとんどなかったりするからだ。
 あっても大したネタではない場合もある。今夜のおかずがひとつ増えた程度で、将来が変わるわけではない。将来にわたっていい道が開かれたとかではない。
 思わぬ偶然とかは逆にできすぎており、運命のようなシナリオがあったのではないかと思えるほど。通常の人では起こり得ないことが何故その人に起こるのかは、考えてみれば不思議だ。
 運を拾うともいう。拾うには確率を上げるため、ウロウロした方がいいと思うのだが、じっとしていたから得られた運もあるだろう。動けば負けで、動かなかったので運を得たとか。そういうのはあとで分かること。
 ただ天運を得ても気付かない場合があり、だから見過ごしてしまう。
 では運を得たから得かというと、おかずに佃煮が増えた程度の平和さだけではない。開けた運でもずっといい感じで開け続けるわけがない。その後はやはり山あり谷ありで、通常の人にはない苦しみも味わうだろう。
 だから、運が開ける方が損だというわけではないが、静かに暮らしたい人にとっては迷惑かもしれない。
 そんな人生規模のことではなく、一寸したことで思わぬことが起こり、一寸喜ぶ程度が無難だろう。
 そういった小さなことでも、運命的な力が働いているように錯覚することがある。よく考えると起こるべきして起こっていたりするのだが、それはいわない方がいいだろう。
 運は開けると、有名な実業家が言った。成功した人だから言える。成功していない人なら、運は開けないというだろう。しかし、名言にはならないし、そんな言葉も残らないだろう。
 
   了
 
 


2019年12月9日

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