小説 川崎サイト

 

人面猿


 中島は古い屋敷に一人で住んでいる。借家だが、借り手がなかなか見付からなかった。今までにも借り手など一人もいなかったのではないだろうか。持ち主は都心部のマンションに越したが、取り壊すのも嫌なので、貸家にした。その祖祖父時代、妾を囲っていた家らしい。
 その後、家族の誰かが住んでいたようだが、近所づきあいはなく、人の出入りも少なかったようだ。
 IT系の仕事をしている中島が、その物件を見付け、そこを仕事場兼住居とした。隣接する家との距離が遠いのは、どの家も敷地が広いためだろう。
 中島が越してからしばらくしたある夜。枕元に何かいる。夢でも見ているのかと思いながら、目を擦り、それを見ると、動物。犬か猫かもしれないが、野良犬などいないので、野良猫だろうか。何処からでも入り込めるので、それに違いない。
 次の夜も、またそれが出た。今度は手を伸ばし、触ろうとすると、すっと身をかわした。そのとき、猫ではないと分かった。猿だ。
 猿はそのまま姿を消した。
 それから数日後の夜。その猿が出た。中島はじっくりと猿を見詰めると、猿は身体をくねらせながら後ろに下がり、こちらを見た。
 人の顔をしていた。しかも女だ。
 
 ざくざくと小気味いい音が快く足の裏に伝わるのか、妖怪博士はわざと落ち葉の上を選んで踏んでいる。その先にあるのは椿屋敷。近所でそう呼ばれている屋敷は昔は万とあったに違いない。椿を生け垣にした家が目の前に迫ってきた。全て赤い。これは目立つだろう。しかし、ここの椿は陰気で暗く、どす黒い赤は、血痕に似ている。
 立派な木造の屋根付きの門があり、インターフォンがあるので、押した。
 出てきたのは、この屋敷を借りている中島。
 話はすぐに始まった。
「猿が枕元に来て正座しているだけでも大変ですなあ」
「そうなんです」
「それが女性の顔をしているとなると、もっと凄い」
「はい、これはもう妖怪変化ではないかと思いました」
「どんな顔ですかな」
「美人です」
「年は」
「妙齢です」
「その猿。メスですか」
「そうです。しかし動きは猿らしくありません。なよっとして、滑らかです」
「顔だけが人で、身体は猿ですかな」
「そうです」
「バケモノですなあ」
「だから、妖怪だと思いまして、博士に連絡しました」
「はいはい」
「どうなんでしょう」
「何が」
「ですから、その正体です」
「お嫌いですか」
「いえ、それほどでもありません」
「その女人猿に見覚えはありませんか」
「見たような気もしますが、特定の女性には該当者はいません」
「猿は人の顔に似ていますし、人も猿の顔に似ています」
「口が出ていませんし、鼻も、すっとしていますし、目も切れ長で、眉はきりっとした円弧を描いています。唇も人そのもので、薄いです」
「あなたはどう思われますかな」
「この屋敷に棲み着いている物怪だと思います」
「それが猿の姿で出たと」
「そうです」
「ここは誰が住んでいたのですかな」
「建ったときは、お妾さんだったとか」
「その人はどうなりました」
「さあ、そこまでは分かりません」
「そのオーナーに聞けば分かるでしょ」
「それとは関係がないと思います」
「そうなんですか」
「僕にまとわりついている何かだと」
「ほう」
「その顔を見たとき、何か懐かしいものを感じました」
「お嫌いですか」
「悪くないです」
「じゃ、どうしましょう」
「どうしたら良いと思いますか、博士」
「おまじないでもしましょうか」
「それで、出てこなくなりますか」
「さあ、一応、そういう護符があります」
「はい」
「貼りますか」
「ちょっと待って下さい」
「じゃ、よしましょう」
「はい」
「それじゃ、私はもう用なしですなあ」
「一つ聞きたかったことがあるのです」
「何ですか」
「このタイプの妖怪、いますか」
「人の数だけいるでしょ」
「人猿じゃありません」
「大人しいようですしね」
「そうです」
「じゃ、私はお暇しますよ」
「はい、今日はどうも有り難うございました。これはお車代です」
「はい、頂戴します」
 玄関から門までは飛び石が続き、左右には手入れされていない庭木が密林状態になっている。
 見るからに何が出てもおかしくないような屋敷だ。
 中島は門のところで、軽く頭を下げ、妖怪博士を見送った。
 赤い椿の生け垣脇の道は上から落ちてきた葉で相変わらずいい音が鳴った。
 中島の内に潜むアニマがアニマルになって出てきたのかもしれない。
 
   了
 


2019年12月17日

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