小説 川崎サイト

 

貴霊寺高僧龍を見る


 貴霊寺の住職が発狂した。麓に本寺があり、貴霊寺はその奥の院のさらに奥に入った渓谷にある寺。高僧が住職になっているが、もう俗界とは縁を切っている。麓の本寺は何かと俗界と繋がっている。そうでないと寺を運営できない。
 しかし、この寺、寺領があり、一寸した豪族並みの規模がある。叡山の山法師のような僧兵もいる。ただ、彼らは仏門とは関係のない雇兵が多い。
 そういったこととかけ離れたところにあるのが貴霊寺。尊い霊のことで、これは死んだ人の霊ではなく、心程度。まあ、清らかな心という程度か、あるいは貴重な心持ちだろうか。
 貴霊寺の住職は当然高僧で、もう年なので隠居寺のようなもの。ここで本来の修行をするわけだが、この宗派は悟るのが目的ではない。それが目的なら寺領にこだわり、さらに広げようとまでしない。
 しかし貴霊寺での目的は貴霊と接すること。この場合、精霊、聖獣のようなものかもしれない。
 発狂した高僧は貴霊と交わったのだろうか。または見たのだろうか。様子がおかしくなった。しかし、大人しい狂い方で、呆けてしまったように見える。だから狂って暴れ回るわけではない。人柄もそれほど違わないが、反応がおかしい。年が年なのでボケたのかもしれない。ただ、ボケるような人ではない。
 貴霊寺にはこの高僧しかいないが、稚児が身の回りの世話をしている。三人ほどいるだろうか。
 その一人に本寺の住職が様子を尋ねた。高僧はこの住職の祖父にあたる人。その父は新しく建つ末寺に行っている。
「悟られたのではございませんか」
「他に何か言ってなかったかい。何かを見たはずだが」
「さあ、それは申されておられません」
「そうか」
「今はどうしておられる」
「惚けておられます。じっと座ったまま」
「御身体は」
「元気そうです」
「食べておられるか」
「はい」
「では狂ってはおられぬ」
「時々、妙なことをおっしゃるので」
「たとえば」
「龍が空を泳いでいるとか」
「おお、おお」
「でしょ」
「そうだなあ。それはおかしいのう」
「狂ったとしか思われません」
「分かった。あまり人に言うでないぞ」
「はい」
 そのとき、伝令が来て、異変を伝えた。貴霊寺のことではない。この近くにある神社が動き出したようだ。
 この寺と隣接する神社があり、そこと争っていた。
「分かった、馬引けい。迎え撃つぞ」
「和尚様、ご隠居様はどういたしましょう」
「それどころではない。放っておけ」
「はい」
 
   了


 
 


2019年12月21日

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