小説 川崎サイト

 

幻の太郎峰


 次郎峰があるのなら太郎峰があるはずだとハイカーは考えた。それらしい山が近くにあるのだが、地図で確認すると、別の名。
 次郎峰は馬の背のような頂を持ち、樹木が生い茂っているので、見晴らしが悪い。その隙間から立花は探しているのだが、地図にないのだから、ないのだろう。
 そこへ同じような年代のハイカーが来たので、聞いてみた。
「太郎峰ですか」
「そうです。ここが次郎峰でしょ。だから兄の峰としてより高いか大きな峰があるはずです。それが太郎峰だと思うのですよ」
「聞いたことありませんよ。この隣に長く延びている山は塩佐尾山でしょ」
「塩佐尾山の別名が太郎峰じゃないのですか」
「でも兄にしては小さい」
「ああ、なるほど」
「じゃ、お先に」
「はい」
 立花もそのあとを追うように歩きだそうとすると、後ろから声をかけられた。
「太郎峰をお探しで」
 真っ白な顔の老人だ。顔中髭が生えており、それが白いので、顔まで白く見える。
「ご存じですか」
「そこに見えておるのが太郎峰だよ」
「やはり、塩佐尾山のことだったのですね」
「そうじゃよ。もう誰も太郎峰なんて呼ばないがね」
「どうしてなんでしょう」
「持ち主が変わったんだよ」
「ああ、なるほど。じゃ、随分昔の話ですよね。僕が持っている地図は相当古いのですが、太郎峰とはなっていません」
「そんな売っている地図にはないと思いますよ」
「じゃ、印刷ものが出る前ですか」
「そうじゃな」
「里に太郎と次郎という兄弟がいたとか」
「いや、大きな峰と小さな峰が並んで見えるので、太郎次郎と名付けただけでしょ」
「じゃ、新しい持ち主はなぜ太郎峰のままにしておかなかったのですか」
「ああ、それが塩佐尾山に変わったのが妙だと言いたいんだろ」
「そうです」
「江戸時代の話だ」
「太郎峰を手放したのも、今の塩佐尾山を手放したのも根は同じ」
「え、塩佐尾山も持ち主がまた変わったのですか」
「そうだよ」
「根は同じとは、原因は同じだと言うことですね。理由は」
「佐尾太夫」
「太夫」
「遊郭の女じゃよ」
「ああ、つぎ込んだのですか」
「田んぼも山もね」
「では遊女の名前なんですね。あの山は」
「まあ、そういうことさ」
「有り難うございました」
 真っ白な老人は、意外と健脚らしく、さっさとその場を去った。
 この老人の話が嘘であるのは、その後分かった。
 次郎峰の由来は、ただの語呂で、太郎次郎の兄弟関係ではなかったようだ。太郎と付けたかったところだが、それほど大きな峰ではないので、次郎峰としたらしい。
 
   了

 


2019年12月23日

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