小説 川崎サイト

 

妖怪変化


 木枯らしが吹いたのかどうか、今年は分からない。妖怪博士は奥の六畳にあるコタツに入り、ガラス戸の向こうに見える庭の柿の木を見ながら考えていた。柿の葉は落ち、実は鳥が片付けたのだがヘタだけが残っていたりする。
 寒いのでカーテンを閉めればいいのだが、外の一角が見えている方がいい。空は見えないが。
 木枯らしが吹いたとしても、気付かなかったのかもしれない。だから、今年は確認できないまま終わるようだ。しかし木枯らし二号や三号があるはずなので、別に木枯らし一号だけに注目する必要もない。
 そんなことを思っているとき、妖怪博士の担当編集者がやってきた。年末で忙しいはずなのだが、きっとサボりに来たのだろう。
 しかし、今日は真面目な顔で妖怪変化について聞いてきた。仕事顔だ。この押し迫ったとき、仕事でも持ってきたのではないかと、妖怪博士は恐れた。
「へんげです」
「それが何か」
「妖怪変化って、何故言うのでしょうねえ」
「それだけのことですかな」
「そうです」
「まずは妖怪。これは実際には見えない」
「はい」
「それが何らかの形に変化して、やっと見えるようになる」
「じゃ、妖怪だけじゃ、まったく見えないわけですか」
「見えないし、感じられない。いることも」
「はい」
「それが何らかの変化をして、形、あるいは音でもよろしい。また風でもよろしい。木枯らしのようにな。この変化あってこそ妖怪が出たと言っておる。既に出っぱなしでも、それは分からん」
「なるほど」
「だから妖怪は変化しないと見えん」
「変化とへんげは似てますねえ。同じ漢字だし」
「へんげとは形が変わること。かなり変わる。大きく変わる。もう別のものになったようにな」
「はい」
「神仏もへんげする」
「え」
「この場合は人に変化するのが多い」
「それは聞きますねえ」
「だから妖怪変化のように、神変化、仏変化と言ってもいいが、急激な変化はあまりよろしくない。いずれ変わるだろうが、ゆっくりがいい。一瞬にして変わるのは異常だ。そのため変わり身はよくないじゃろ。神仏の場合は別で権化とか化身と言っておる」
「尊いものが何かに姿を変え、登場するわけですね」
「そうじゃな」
「だから、妖怪の変化は汚い。神仏の変化は人々を救うための権化、化身。それに比べ、驚かしたり、悪さをするための変化は、今一つ稚拙」
「妖怪は何かに化けるわけですね。話を戻しますと」
「そうじゃ」
「その化けるというのをへんげという。あまり良い変化ではないがな。悪い意味での変化と言ってもいい。そして人ではなく、とんでもないものに変化して出てくる。ここが神仏の変化と違う所じゃ」
「はい、分かりました」
「しかし、やっていることは同じようなことなので神仏と妖怪とはよく比べられる。どちらが先かは分からぬが神仏と妖怪は関係しておる。これだけは言える。ただ神仏は上等だが、妖怪は下等扱い。ある説では神仏になり損なったのが妖怪だとされておる」
「人に進化しなかった猿のようなものですか」
「猿は猿で立派なものじゃ。人より立派だったりするぞ」
「そうですねえ、犬畜生にも劣る奴もいますからねえ」
「人もへんげするということじゃ」
「はい」
「それがモデルかもしれんなあ」
「これで、答えられます」
「何を」
「小学生からの質問で、何故妖怪変化って続けて言うのですかと聞かれたので」
「私はケペル博士か」
「当然妖怪博士なら、即答できると思いまして」
「そういうのは形而上学の問題でな。何とでも話を繰れるのじゃ。正解など、誰も知らん。本質は想像でしか分からんのでな」
「はい」
「しかし、寒い。君は木枯らしを吹いたのを覚えておるか」
「さあ、強い風なら始終吹いている日がありますよ」
「今なら強い風が吹いても普通か」
「そうです」
「うむ、分かった」
 天気も変化する。ましてやその空の下にいるものが変化しないはずがない。
 変化がきついと化けるとなり、オバケ、バケモノとなる。
 
   了
 


2019年12月27日

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