小説 川崎サイト

 

笑う年の瀬


 倉橋は新年を迎えるにあたり、いろいろと考えるところがあるので、ごっそり刷新してみることにした。新しく自分を刷り下ろす感じだが、別にプリントゴッコで年賀状を印刷するわけではない。だが、自分自身に印刷するのかもしれない。これを刷り込みと言うが、自発的に刷り込むのであるから、これは違うかもしれない。
 平衡感覚というのがある。これは耳にセンサーでも入っているのか、カメラの手ぶれ補正に近いかもしれない。ここが狂うと目眩がしたりする。センサーと共に身体も自動的にバランスを取ろうとするのだが、それが誤作動する。
 その平衡感覚、耳だけではなく、身体そのものにも、あるいは気持ちの上でも起こる。身の程知らずなことをすると、そういうことになる。そうならないような感覚があるのだが、これは意識的に無視できたりする。別に止めに入らないが、バランスが悪いこと程度は警告しているはず。これは本人も分かっているだろう。
 それは自分らしくないとか、無理があるのではないかとか、その程度の不安だろう。警告とまではいかないが、自動制御装置のようなものは、多少働き、自己規制することでブレーキがかかったりする。
 さて、倉橋が考えている平衡感覚とは、これまでの行いを振り返り、バランスが悪いのではないかと感じたためだろう。自分らしくない。このときの自分らしさとは具体的なものではなく、ただの否定だ。これではないと思う程度で、正解があるわけではない。当然だが自分のことは自分では分からない。
 ただ、何となくバランスが悪く、居心地が悪いと感じることがある。椅子の脚が一本だけ少し短いような。だからぐらぐらする。
 倉橋が言う刷新とは、このバランスを取り直すこと。こういうのは日頃から自然にやっていることなのだが、それほど意識的ではない。
 それで、新年にあたり、それをもっと意識的に明示してやれと、そういうことを思い付いたのだ。いいことだ。今年のことはもう忘れて、新たな気持ちで臨もうとするのだから、前向きだ。
 そのバランスの悪さの原因はすぐに見付かった。敵わぬこと、出来そうにないことをまだ目標としてインプットされたままなのだ。だから、これが作動する。そういうのを取り除くと、ぐっと安定した。平たく言えば身の丈に合ったことをやるということだが、これを修正したり、消したりした。
 そんなことをしていると、新たなものが出てきた。忘れていたようなもので、目立たなかったもの。これは身の丈に合わないものばかり注目し、そういう体勢で望んでいたので、影に隠れていたのだろう。それが浮かび上がったのである。
 これはいいものを見付けた。これならできるし、それほど難しいことではない。
 そして、その方向へ向かうための準備などをやり始めた。一年の計としては、かなりいいもので、バランスもいい。
 押し迫った年末。既に来年のことをしっかり考えているのだ。
 布団の中で、そんなことを思いながら、眠りにつこうと、目を閉じたとき、笑い声が聞こえてきた。
 来年のことを鬼に聞かれたようで、笑われたようだ。
 
   了
 
 


2019年12月28日

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