小説 川崎サイト

 

陣触れ


 三方郷という山々が続く一帯がある。山険しく田畑は少ない。どう見ても草深い田舎。
 ホラ貝や陣太鼓、それに狼煙まで上がっているのが見える。隣村からだろう。砦がある。
 陣触れ。出兵せよとの合図。
 陣触れを発したのはこの地方を治めている領主。ただ、三方郷は領土ではない。しかし、長く良い関係にあり、敵対していない。
 領主の本拠地に続々と兵が集まってくる。それを物見台から見ていた家老は、いい顔ではない。
「集まりが悪いようでごじゃります」
 家老は領主に伝える。
「伝令を出せ」
「先ほど出しもうしたが」
 その伝令、三方郷にも来た。
「早速準備を」
 と、三方郷の長が返事する。
 伝令が帰ったとき、横の部屋にいたお隣の豪族が顔を出した。黒川郷の家来だ。老臣。
「今回は無理でしょ」と老臣。
 三方郷の長は頷く。
 そういった豪族が、この地方に六つか七つある。いずれも規模の小さな豪族だが、実際には武家ではない。普段は田畑や山仕事をしているが、それではただの農民だろう。ただ、彼らは武装している。
 家々は大きく、立派な屋敷もある。田畑や山仕事だけでは、それだけの規模にはならない。また、貧しい山村部だからこそ、外に出る。出稼ぎだ。行商に出たり、運送に関わったり、時には雇兵として遠いところまで出掛ける。
 全部で七郷あるが、その兵力は千に満たない。
 今回の陣触れは、ここの領主が仕掛けた戦で、勝ち目がないと郷では見ていた。それで、出陣に応じないのだ。負け戦には加わらない。それだけのことだ。
 彼らが豪族化したのは元々武家のため。源平以前にまで遡るので、結構古い。源氏平家とは別系統。地方で駐屯していた物部の残党だと言われているので、相当古い。
 武家を捨て、山を切り開き、田畑を開いた。山奥ほどすいているためだろう。誰も手を着けていなかった。
 そういう場所なので、食べていくだけの作物がない。だが、彼らの主だった者は武人で、読み書きができるし、武器の扱いも巧み。教養もある。育ちがいいのだ。
 そういった連中が七箇所村を開いた。武士として戦には関わらないのは、主人がいないからだ。主筋は滅んでいる。
 当然、この一帯の領主にも使えていない。家柄は豪族の方が遙かに高い。家系図も偽物ではない。
 さて、ここの領主の出陣だが、七郷が参戦しないと、少しだけ兵力が足りない。
 この参陣、強制はできない。自発的に来てもらうことを前提としており、所謂陣借り。勢いのある軍なら、次々に沿道から参陣する地侍がいる。百姓でもいい。武具さえ身につけておれば、参陣できた。軍としては一兵でも多い方がいいためだ。見せかけでも。
 ところが、今回集まりが悪い。
 領主の家老が今度は早馬で三方郷までやってきた。この三方郷の長が、周辺の豪族のまとめ役となっているためだろう。
「あきませんなあ」
 郷長は断る。
「あきませぬかいなあ」
「駄目でしょ」
「やはりのう」
「無理な戦い」
「それは分かっておるのですがなあ。殿がどうしてもと」
「脅してやりなさい」
「え、どのように」
「兵の集まりが少ないのでしょ。すると、本拠地の兵を全部連れて行くはず。すると空き城ですよ。そこへ我ら七郷が攻め立てればどうなります」
「そんなことをお考えで」
「いや、わしらは戦いは好まぬ。そんなことはせん」
「安心しました」
「その恐れありと、その若殿に伝えてやればよろしい」
「そうします。七郷の動きが妙だと」
「そうそう。そういう風に脅しなされ」
 領主の家老は、それをさらに大袈裟に殿様に伝えた。
「けしからん。まずは七郷攻めじゃ」
「あそこには手をつけない方が得策かと」
 それは先代から続く方針で、それは変えられない。
 この方針は、山岳部に兵を入れて、大変な痛手を受けた過去があるためだ。
 結局、兵の集まりが悪いので、この戦い、今回はやめることになった。
 家老はほっとした。
 
   了


2020年1月4日

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