枝道
いつも通っている道沿いだが、その道から逸れることはほとんどない。意味がないためだ。つまり目的地へ向かう道筋で、通るだけ。
しかし市街地や住宅地、また工場などもあるので、道は無数にある。道の名はほとんどない。あるとすれば旧道で、街道名が付いていたりする。まだこのあたりが農村だった頃の村道だが、それとは別に長距離路線のような、村ではなく、領外にも出るような幹線道路もある。
しかし、そういう道は今では一番細く、ぐねぐね曲がり込んでいるので、車道としては走りにくい。ギリギリ一車線だったりする。今では市街地の道路と混ざり合って分かりにくくなっているが、途中で行き止まりになったりすることはない。遙か彼方まで続いている。
さて、岩田はいつもの道筋を自転車で走っていたのだが、途中で連絡が入り、相手が遅れるとのこと。小一時間ほど早く着くことが分かったので、時間を潰す必要がある。
それで、そのいつもの道筋を走っていると、色々な道と交差しているのだが、滅多に入り込まない。遠回りになるし、意味のない行為だ。それにそんな時間はない。
だが、今日は時間が空いた。それで、普段から気になっている道がいくつかあり、その一つに入り込んだ。まったく知らない場所ではない。何をして時間を潰すのかを考えたとき、特にネタがないし、何か有為なことをする気も起こらない。
相手が遅れるのだから、こちらも遅れたような感じで、寄り道すればいいのだ。しかし、寄る目的がない。寄り道のための寄り道。時間つぶしの寄り道。
そして、このポカンと空いた小一時間の余裕。ここは何もしないで、ウロウロしているだけが好ましい。ポカンとした状態を維持したい。
それで入り込んだ道を走っていると、気持ちがいい。初めて通るときの新鮮さがある。ただ、いつもの道筋とほとんど風景は変わらないので、珍しいものがあるわけではない。
さらに進むと、小さな道とよく交差する。狭い枝道だ。その道を覗くと、古ぼけた家が見える。昔のの長屋のようなものだろうか。あまり良い場所ではない。下町というより、上品さがない程度だが、人が住むにはいい感じだ。
そういう場所だったのかと思いながら、さらに進む。すると、もうマンションとか、今風な張りぼてのような新建材の家が増えだした。
やはりあの木造瓦葺きやトタン葺きで、塀越しに鉢植えが並び、錆びた自転車が放置され、火鉢の水槽で金魚が泳いでいる。そちらの方が見るものが多いだろう。それで、狭い枝道に入り込む。
背の低い人が前方に居ると思っていると、腰の曲がったお婆さんだった。
こういうところには妖怪変化でも出るかもかもしれない。傘から一本生足が出たバケモノとか。
これはいいと思いながら、岩田は路地を何筋も抜け、面白そうなものがありそうな枝道があると、さっとそこへ入り込んだ。
こんなことをしていると、約束の時間に遅れる。とは思いながらも、まだまだ時間はある。奥へ行くより、戻りかければいいのだ。
あとで分かったのだが、ここの旧地名が狐塚。狐の塚があるわけではない。そしてこの地名は使われていない。旧狐塚の町は何々三丁目となっている。その三丁目の中に狐塚が収まっているのだ。
戻っているのに、遠ざかっている。
入ると迷いそうな三つ角がある。四つ角なら東西南北で分かりやすい。だが三つ角で、角度がきついY字路などでは、方角がおかしくなる。曲がり込んだと思っていても足りなかったり、また回り込みすぎたりする。
それでこのあたり、鬼ごっこには丁度いいのだが、迷いやすい。それで狐に欺されたような錯覚を覚えるのだ。
それで、時間も迫ってきたので、とりあえず、この阿弥陀籤のような路地の町から抜け出そうと、もう曲がらないことにした。一直線に走れば、あっという間にこの三丁目から出られるだろう。
そして出れば分かりやすい幹線道路に出られるはず。たとえば逆側に走っていたとしても、同じ場所をぐるぐる回っているよりはまし。
そして直進し続けると、見晴らしのいい場所に出た。堤防が見える。その先は真っ白。川があるためだ。
村田は、この河川は何川だろうかとすぐに頭を働かせたが、こんな大きな川はこの近くにあったのだろうか。
堤防を上りきり、彼方にある対岸を見ると、だだっ広い野が続き、所々に森がある。そして壁のように立ちはだかっている山塊。
山が大きく見えるのは、遠くから見ているためだろう
岩村はすぐに引き返し、先ほど直進し続けた道を一気に走り抜けた。
すると、見覚えのあるいつもの道筋が見えた。角の自販機だけの煙草屋。そして散髪屋と薬局。見慣れた風景だ。
時計を見ると、約束の時間まで、あと僅か。
岩村は全速で走った。
そして、待ち合わせの相手と会えた。事なきを得たが、意味もなく下手に枝道に入るものではない。
了
2020年1月5日