小説 川崎サイト

 

日常の世界


 日々の過ごし方が数日違うと、少し新鮮だ。これはこれで楽しめるのは、ずっとではないため。少し立てばまたもとの過ごし方に戻る。もしそうでなければ、受け止め方が違うだろう。
 もとの日々の暮らし方に戻るには相当日数がかかるとなると、これは決心がいる。さらに、もう戻れず、一時的なものではないと分かると、さらに決心がいる。それが必要なことならいいのだが、そうなってしまったような場合は、やや下向きだ。
 がらりと生活パターンが変わるのは引っ越しだろう。近い場所に引っ越したとしても、立ち回り先が少し違う。僅かだが遠くなる場所と近くになる場所ができ、近くの方へ行くようになる。
 引っ越しはよりいいところへならいいが、一つランクを下げた場所となると、下げざるを得ない状況の方が深刻なので、都落ちのようなものになる。その場所は新鮮だろうが、気持ちはそうならなかったりする。
 安定した暮らしぶりとは慣れだろう。住めば都になる。もうあまり決め事をしなくてもいい。そして決め事を意識しなくてもできるようになる。決め事が習慣になれば、普通にやるだろう。
 安定した暮らしぶりがあってこそ変化が楽しめる。安定しすぎていると、退屈し、飽きてくる場合もあるが、何も考えずできるので、これはいいことだ。ただ、変化も望んでいる。だが、大きな変化ではなく、安定感を壊さない程度の。
 この安定感の中に食い込めば食い込むほど変化の効率は高いが、下手をすると屋台骨を壊してしまう。
 山田が散歩に出るのはいっとき日常から外れることが目的。しかし散歩なので、すぐに戻ってこられるので、大した外れ方ではない。これが何かの用事での移動なら、同じ道筋でも日常の中。決まり事の世界なので、通る道も最短を選ぶだろう。
 枝道に無闇に入らない。闇が待っているためだ。これは散歩のときの心情で、普段の心情ではない。
 ただ、散歩も日常事になる場合がある。日常業務のように同じ場所を同じ時間に出ていると、そうなってしまう。散歩も安定感を望むときはそれでいい。冒険しないで。あるべき風景があるべき様に見えるような。同じものを敢えて見る。
 日常の中にあるちょとした変化。それは散歩には丁度いいスケールだ。
 散歩コースというのは領地のようなもので、自分の土地のようなもの。しかし散歩人同士での縄張り争いはない。犬の散歩ならあるかもしれないが、好きな場所を犬がうろつけるわけではないので、これも少ないだろう。ただ、その意識はあるはず。
 散歩コースが自分の領土。これは始終そこを通らないと駄目で、行かなくなれば人に取られるわけではないが風景がよそよそしくなる。そして他人の領地に踏み込んだようにも。
 日常化されると自分のものになる。慣れた者勝ちだが、領内コースを別の人がいたとしても、取り合うわけではない。どちらも領主。ただ一方は領民になる。そのため、しばらく行かないと領主から領民になる。
 人には世界があるとはこのことで、その人が持っている世界だ。それは架空のものではない。
 世の中には色々な世界がある。個人の暮らしぶりも、一種の世界で、誰もが世界を持っている。
 
   了


2020年1月19日

小説 川崎サイト