小説 川崎サイト

 

雀百まで


 馴染んだものとは、財産のようなもの。ただ負債もあるが。
 馴染んだものは馴染んでいないものよりもいいのだが、それはただの慣れで、そのものが良いというわけではない。馴染んでいていいという程度。馴染みの場所。馴染みの店。馴染みの道。馴染みの映画館、等々、数えればきりがない。馴染んだ箸とか茶碗とか椀とか、当然住み慣れた家、町など。
 ただ、馴染んだものでも消えてしまうことがあるし、馴染んでいても、消えた方がいいものもある。
「ほほう、慣れですか」
「そうです。これが大きいです」
「それが財産だと」
「時間がかかりますからね。馴染むまで。慣れれば、もう自分の一部のようになりますから」
「慣れると、飽きることもあるでしょ」
「嗜好品ならそうですが、安定してあるものは、そのままの方がいいです」
「ベースのようなもの」
「そうです。ベースの上に乗っているものに対しては飽きるかもしれませんがね。ベースはあまり動かない。静かなものです」
「そのベースを変えたいと思いませんか」
「環境を変えるような話になりますので、それは大ごとです。余程何か事情でもなければ」
「でも環境も徐々に変わっていく場合があるでしょ」
「ありますねえ、一気にじゃなく、徐々に。気が付けば以前と比べ、がらりと変わっていたりしますが、変わるのは部分部分なので、急激じゃないので、何とかなりますよ」
「そして新しいものに取って代わられる」
「そうです。最初は慣れが必要ですが、そのうち慣れてきて、もうそれじゃないといけないほどになります」
「以前の方がよかったなんて思いませんか」
「そういうのもありますねえ。でも戻れないのなら、そんなことを思っても仕方がないですし、期待もしていません」
「私はどうも今の暮らしに慣れなくてねえ。もう時代遅れの人間になったのでしょ」
「まだお若いのに」
「若いときほどには目新しいものに目がいかなくなりました。それこそ昔からあるような慣れたものが好ましいと思うようになりました。若い頃とは正反対だ」
「お若い頃は新し物好きだったのですか」
「時代の最先端を追っていました。それで出過ぎたのでしょう。その反動かもしれません。未来へ行くのではなく、過去へ行こうとしている」
「じゃ、今の暮らしぶりに慣れないのですか」
「それなりに慣れているつもりです。別に不満はありません。御時世ですから」
「はい」
「ただ、もう私の時代じゃなくなったことだけは確かです。こういうのは若い頃だけなんでしょうねえ」
「若い頃、何をされていたのですか」
「それは言えません。恥ずかしくて」
「はい」
「雀百まで踊り忘れずってことわざがありますねえ」
「ありましたか、そんなの」
「耳にしたことがあります。いくつになっても若い頃に覚えた踊りを忘れず、年取ってからも、まだ踊ろうとしているということでしょうか」
「雀、踊りますか」
「見たことはありませんがね。雀踊りなんて」
「踊りは舞踏でしょ。舞いでしょ。舞いは飛ぶという意味もありますから、雀踊りじゃなく、単に元気よく飛ぶことをいっているのでは」
「小さいがそれなりに重いのに、あの羽根の力だけで、よく飛べるものだと思いますよ」
「でも、長距離は難しいでしょ。それに、上空の気流に乗れるほど高いところを飛んでいる雀は見かけません」
「いやいや、雀ぐらいの渡り鳥もいますよ。その気になれば、遠いところまで行けるのでしょう」
「私も、百才の雀のように、まだ飛びたいという気は残っています」
「でも百才の雀はあり得ないですねえ」
「そうだね」
 
   了


2020年1月28日

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