小説 川崎サイト

 

意識する


 次に何があり、何をすればいいのかが分かっているときは楽だ。それが楽な行為ではないこともあるが、次がどうなるのか分かりにくく、またどれをどうすればいいのかが明快ではないとき、そこが少しだけ苦しい。激痛ではないが、何となく先が見えないため。
 だから、見通しが効くことだけでもいい感じだ。見通しの悪い交差点に比べれば、車がきているかどうかを予測できる。交差点に鼻を出さないと見えないよりはいい。これは一つ省略できるためだろうか。
 この先、いやなことをしないといけない場合でも、それが予定として既に決まっている場合、その覚悟の上で臨める。いきなりいやなことに襲われるより、まし。
 つまり、少しまし、少し予知し、予防できる程度だが、それだけでも楽。決して楽ができるわけではないが、道筋がついている方がいい。
 ただ、それが既に分かっており、決まっている場合、変化がない。いやなことがいいことに変わるわけではない。
 だから、その反対に、先が見えない方が仕合わせなこともある。不安感はあるが、プレッシャーがなかったりする。何かに対するプレッシャーなので、その中にまだ入っていないので、プレッシャーを感じることもなかったりする。
 しかし、予想と実際とは違うことも結構ある。所謂取り越し苦労。心配していたようなことにはならなかったとか。
 人は常にそういった動きを心の中でやっている。ただ、それをあまり意識していないこともある。
 大事があると、小事は飛んでしまう。それどころではない大事がある場合だろう。
 心の変化というより、受け止め方。認識の違い。
 人と人との間でも、この認識のしあいをやり合っているのかもしれない。認識試合だ。見る目が違ってしまったとかは、そういった認識の変化で変わる。相手は何も変わっていなかったとしても。
 当然物に対しても、また考え方に対しても、それが違ってくる。
 認識の方法が変わることもある。認識そのものの認識の仕方が変わるのだ。だから、考え方が違ってきたりする。
 いずれも自然とやっていることで、意識しなくても、そういう頭の働かせ方、感じ方をやっているのだろう。逆にそこを意識しすぎると、ややこしくなる。
 高度な頭脳コントロール。これは実は普段から普通にやっているのだ。それに任せておいた方がいい。あまり意識しないで、すっと進めた方が。
 一寸先は闇。闇にはバケモノがいる。その多くは外ではなく内にいる。
 
   了
 


2020年2月6日

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