小説 川崎サイト

 

熟れる


 慣れたことをするよりも、慣れないことをする方がいい場合もある。「慣れないことはするものではない」と思うときもあるが、慣れていないことを上手くこなせたときは、少し嬉しい。これは慣れていることをやるよりも、よかったりする。達成感のようなものがあるためだろう。
 熟れすぎると飽きてくる。だが、飽きるのではなく、ごく自然にやってしまえるので、意識的にならなくてもいい。分かっている道をただ歩くだけ。風景など見ていないかもしれない。昨日とそれほど違わないため、以下省略となる。
 以前慣れていて、熟れていたことでもしばらくやっていないと、初心者に戻ってしまうこともある。大きなバイクばかり乗っていた人が久しぶりに自転車に乗ると、ハンドルが軽すぎて、怖かったりするらしい。ただ、しばらく乗っていないからといって乗れなくなるわけではない。そのバランス感覚は一度乗れるようになれば、覚えているようだ。
 自転車と違い、頭を意識的に働かせないといけない事柄では、しばらく離れていると、どうもぎこちない。また一からスタートし、熟れるまで少し時間がかかるかもしれない。
 広谷はやり残していたことが色々とある。途中でやめてしまったものがある。必要ではなくなったので、やめたものもあるが、未練を残しながらも遠ざかったのもある。
 時間に余裕ができたので、それらをもう一度やろうと考えたのだが、当時のような必要性がない。それは欲というものだ。意欲の欲ではなく、その後の展開が素晴らしいものになるという欲。やっていることではなく、その先に魅力があったのだ。その素晴らしいものは遙か彼方にあるのだが、その一歩になることをやっていた。それを続ければ、彼方が此方になり、達成できる。
 すると、生活もよくなり、希望通りの暮らしもできるし、そういう生き方ができる。これが欲で、その欲に引っ張られて苦しくてもやっていたのだろう。ただ、その欲が変わったため、途中でやめている。
 そして、暇になったので、それを再開したのだが、その行為が好きだったわけではなさそうで、すぐに面倒になり、やめてしまった。以前ならもう少しできたはずだが、過程を楽しむだけで、目的にはもう魅力が無くなってしまったのだだろう。
 しかし、慣れた状態で、熟していく過程の楽しさだけでもいいので、やろうとしていた。
 慣れれば、スイスイできるようになり、気持ちがいいだろうと思った。しかし、その先はもう昔ほど素晴らしいものではなくなっている。やはり、この欲の力が強い。その影響が薄れたため、引き付ける力もなくなった。
 以前は熟れていたのに、今はなかなか慣れないので、熟れない。そういうことは多々あるようだ。
 
   了
 


2020年2月8日

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