小説 川崎サイト

 

両横の客


 宮田はいつもの喫茶店に入ったのだが、席が違うためか、妙に落ち着かない。窓を向いてのカウンター席だが、左右の客がどうも気になる。テーブル席に比べ、客が近い。すぐ横にいる。しかし、顔は見えない。だが男女別は分かる。カウンターに置いたバッグ類などで。
 また、少しだけ首を回せば見えるのだが、それでは相手も気付く。
 左右に人がいるのだが、それが誰であるかが分かっても仕方がない。別に危険そうな人ではないだろうし、たとえそんな人がいたとしても、ここでは場所が悪い。それに何のきっかけもないのに、いきなり危険な行為はしないはず。当然この店ではそんなことは一度もないし、他の行きつけの店もそんな気配は全くない。あればニュースになる。
 ただ、夜遅く、飲み過ぎた人が入って来て、挙動がおかしく、酔った勢いでスイッチが故障したのか、噛みそうな犬になることもあるが、そのスイッチはいくら酔っていても残っているのだろう。無闇に噛まない。噛めば人狼や吸血鬼やゾンビになる。
 その日、座った席は初めてで、常連客も多く、顔だけは知っている人も数人いる。その中の誰かが横に座っているのかもしれないので、興味があるとすれば、その程度。ああ、この人か、と分かればいい。だが、分かったとしても大したことではなく、何の変化もない。
 横に座っている人も、似たようなことを思っているかもしれないし、また初顔かもしれない。そちらの確立の方が高い。
 その前の日だが、別の喫茶店で声をかけられたことがある。その近くのまた別の喫茶店で何度か見かけたことがあるらしい。宮田の記憶にはない。ひと世代若い男性だ。
 ということは宮田は見られていたのだが、宮田はその男性を見ていなかった。覚えていない。座っている場所が違うためだろう。それでも大凡その店に来る人なら、知っているはずなのだが。
 相手は知っているが、宮田は知らない。おそらく記憶に残らなかっただけで、見たことはあるのかもしれない。長髪で眼鏡をかけ、痩せた男性。カジュアルバッグから端末を出し、それを見ていた。
 宮田は記憶の底を掘り返したが、出てこない。覚えにくい顔だ。印象に残らない。何処にでもゴロゴロ落ちているような石に近い。しかし、人なので、それなりに違いは分かるはず。だが、それさえ記憶から消えている。やはり目に一度も入らなかったのだろう。または背中だけを見ていたのかもしれない。
 宮田はこの近くにある喫茶店にもよく行っている。それですっかり顔を覚えれてしまっている。だからそこで出合う人の数は結構多い。接触することは先ずなく、当然話すこともないし、挨拶もない。当然だろう。そこが町内なら、別だが、不特定多数の人が行き交う場所なので、ただの人々であり、群衆の中の一人だ。
 さて、両脇の客だが、一人が立ち、もう一人も消えた。これで左右がすっきりしたが、別の人がすぐに入って来た。その日は何かあるのか、満席なのだ。それで、いつものゆったりとしたテーブルに着けない。そういう日もある。
 それで、慣れてきたので、もう両隣の客のことは気にならなくなったが、先日話しかけてきた、あの男性が気になる。
 よく見かけると言っていた。しかし、宮田は見かけたことがない相手。これはどう解釈すればいいのか。
 その男性、最初から存在しないタイプなら、ぞっとするが、そんなことはあり得ない。あるとすれば、人違い。
 だが、宮田はかなり目立つタイプで、印象に残るタイプ。似たような人も世の中には探せばいくらでもいるだろうが、この近辺では少ないし、ましてや喫茶店などで、自分と同じような顔の人などいない。
 だから人違い説も、少し頼りない。
 両横の客がまた姿を消した。気付かないうちに出たのだろう。意識しないと、もう左右など眼中にない。
 そして、ヌーと人の気配が横でする。まさかと思い、横に座ったその男性をもろに首を回して直視する。
 あの男性ではなかった。
 
   了
 


2020年2月10日

小説 川崎サイト