小説 川崎サイト

 

元気のないとき


 今日は何もしたくないと思う日がある。高田は週に一度あるようだ。そのほとんどは天気。それと体調。どちらもコンディションの問題だろう。こういうとき、込み入ったことや、大事なことをすると、厄介なことになる。厄介なときに厄介なことをするようなものだが、厄日に厄事をするような感じ。揃っているのでいいのではないかと思えるが、相乗効果でさらに加速する。マイナスプラスマイナスはプラスになるが、マイナス側に伸びるので、戻るわけではない。
 高田はそんな日はじっとしているのだが、そういう日に限ってややこしいことになることが多い。まあ、具合の悪いときなので、何をしても具合がよくなるわけではないので、具合悪さのついでに具合の悪いことをするのも悪くはない。どうせ具合が悪いのだから、ついでにそのとき、具合の悪いことをやってしまえということもある。ただ、それは避けたいので、敢えて挑むようなことはないが。
 しかし、高田は調子が悪いときの方が落ち着くようだ。低いテンションしか出ないので、考えることも小さい。身の回りのことに対して、意外とこういうとき、目がいく。近いためだろう。そして小さいかどうかは分からないが。
 元気がないときは、元気のないものに触れる。勢いのあるものに触れる気力体力がないため。それで落ち着いたものを好む。
 落ち着くとは、もう到達点に着いたような、終わってしまったようなことに当てはまりやすい。落ちて着地して、もう落ちないようなものだろう。だが、転がすことはできる。これは任意だ。
 落ち着いたものは永眠しているわけではなく、まだ生きている。よく見ると、少しは動いている。この静かな動きに高田は興味を示した。ただ、興奮するようなことではなく、ぼんやりと眺めているだけだが。
 既に終わったもの、世間の注目も浴びなくなったもの、死んだように終わってしまっているものでも、まだ横へは転がせる。
 上へはもう行けない。落ちたのだから。下へも行けない。そこがどん詰まりなので。だから底。しかし、その横は広かったり、また抜け穴があり、他と通じていたりする。
 元気がなく、今日は何もする気が起こらないようなとき、高田はそういう世界に入り込む。これは一種の探検だ。
 古いものは終わっているので、結果も出ており、安心して見てられるが、本当は終わっていなくて、まだ続いているのではないかと思えることもある。そういうのを発見したとき、これは一種の妄想なのだが、やんわり、そしてにんまりした気分になる。これを、その体調のときの楽しみにしている。元気なときには決して目など向けない方面。
 元気のないときの過ごし方というのは、あまりない。だから自分で探すのだろう。
 
   了



2020年2月18日

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