小説 川崎サイト

 

頭の自動運転


 脳というのは怠け者で、実は何もしたくないらしい。つまり頭を使いたくない。そのようにできているらしいと上田は聞いたのだが、これは上田が怠け者のため、納得したのだろう。
 脳は省略するのが好きで、省エネを好む。電気を使うためだろう。
 ただ上田は勤勉で、努力家。コツコツと物事をこなす人。一見して怠け者には見えない。ところがやっていることはほとんど頭を使わなくてもできること。箸を持ち、ご飯を食べるとき、頭を使うだろか。そんなときは別のことを考えながら食べたりしている。
 ただ指に痛いところがあるときは、考えながら持ち方を変えたりするが。
 上田がコツコツやってこられたのは、そういうことがメインだったためだろう。
 慣れたことなら何も考えないで、頭も働かせないでもきるということ。頭を使わなくてもいい。
 では頭を使うとは何か。これは考えたりすることだろう。思案、思考、ものによって言い方は変わるが、頭を使わないとこなせないようなこと。
 それがこなせる場合は、考えないで、反射的にやっている。いちいち思案しない。だから判断のスイッチは自動的に入る。いつも押すスイッチなので、そのスイッチしか押さない。だから、考える必要はない。
 その間、頭は休んでいるか、別のことを考えている。同じような動作を綿々とやっているとき、慣れてしまえば自動運転で、勝手にやってくれる。
 上田はその状態を好む。同じことをずっとやっていると、気持ちよくなってくる。そして、その間、頭はそちらのことはもういいので、別のところに行ける。これはただ単にぼんやりとしているだけに近い。何かを真剣に思考しているわけでも、考え事をしているわけでもない。ぼんやりと思い付くまま、連想の糸をたどるようなもので、特定のことを考えているわけではない。
 ただ、気になるようなことがあるときは、それが頭を占領するが、目の前のことを思っているわけではない。
 難しいことを考えていると、頭が痛くなる。実際の頭痛ではなく、重いのだろう。計算が。気持ちよく頭が回転しない。よく回転するときはよく考えている状態ではなく、考えなくてもすらすら行く状態だろう。だから、軽い。
 頭を使わないで、綿々と続けている状態は、何らかの境地とも言える別世界に入り込めるようだ。
 ここを上田は安全地帯と呼んでいる。自動運転なので、やっていることに企みや邪心はない。この行為そのものが邪念の塊かもしれないが、頭を使わないことがいいのだ。邪心は頭を使うから発生する。使わないのなら、そのままの行為で、掛け値なし。
 上田は頭が悪いのではなく、できるだけ使わないようにしている。これは頭が弱いためだ。バカではなく、頭の体力が弱い。当然頭の良い人ではなく、頭の強い人がいる。
 上田は頭の回転が速いのだが、回すと疲れるので、いつもは抑えている。
 世の中には本気を出さない人がいる。なめてかかると、本気を出され、手痛い目に遭う。
 
   了



2020年2月25日

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