小説 川崎サイト

 

自己改革


 藤田は体調を崩したので、仕事を休んでいる。しかし大した仕事などしていないので、休んでいるようなもの。だから影響はほとんどないが、何かで時間を潰さないといけない。ずっと寝ているわけにはいかない。だから何でもいい。何かで時間を潰せばいい。当然潰すだけではつまらないので、有為な時を過ごしたい。何が有為なのかどうかは本人次第。
 ところが藤田はあまり有為なことを知らない。知っているが、やりたくない。だから、適当なものでいい。
 何でもよく、適当でいいというのは簡単に見付かるはずなのだが、すぐに飽きてしまう。長持ちしない。
 テレビを見るより、本を読んでいる方がためになり、身につくものを得られるだろうが、テレビや娯楽番組からでも得られるものが多くある。下手な啓蒙書を読んでいるより身につくかもしれない。
 だが、いずれも見ているだけ、読んでいるだけでは飽きてくる。やはり何かをした方がいい。見学ではなく、自分で何かをする。
 しかし、その何かがなかなか見付からないので、余所見しているわけだ。
 藤田はそういうことで二三日過ごしていたのだが、体調も戻りだした。そして休んでいる間に得たものを探した。これはただ単に部屋の中でゴロゴロしていただけのもので、特に得たものはない。ただ、充電できた程度だろうか。正しい休み方。王道だ。
 だが、少しは得るところがあった。それはもう何もしなくてもいいのではないかと。
 しかし、それでは時間が持たないので、じっとしているわけにはいかない。何もしない状態というのは結構難しく、間が持たない。何かしてしまう。
 そこで、徐々にやることを減らすことにした。これは先々のことを考えてやっていたことが結構ある。だが、その先が先細り、もうやめても悔いは残らないことが多い。
 何もしない。これは色々な意味が含まれている。あることに対して何もしないだけで、別のことではやっていたりする。だから、全てにおいて何もしないというのは無理。
 そこで藤田が思い付いたのは、何かをしているのだが、実際には何もしていないことと同じという状態だ。やっているのだが、実はやっていない。やっているのは間が持たないため。
 これはどういう状態だろう。藤田は自分で考案したのに、混乱した。
 やらずしてやるのではなく、やってやらないということか。
 そこに辿り着いたとき、藤田ははっと我に返った。それならずっとやってきたことではないか。ずっとやっているのに、何もやっていない人のように見せ続けた。実際やっても大したことはせず、やっていないのと同じようなレベルだった。
 やることを整理し云々も。だから仕事が減り、休んでいるのと変わりがない状態になっていた。これは実践したわけだ。
 体調を崩したのは過労からではない。そんなに働いていないので、それはあり得ない。これは別の問題だろう。
 決めなくても、既にやっていたのだ。
 
   了



2020年3月2日

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